銀座一丁目新聞

追悼録(605)

終戦記念日と「広島・長崎原爆忌」に思う

8月15日は戦後71年目の「終戦記念日」。6日は「広島原爆忌」、9日は「長崎原爆忌」である。これらの記念すべき日を知らない若者が7割にも達するという数字があると知った。8月15日正午には友人と靖国神社に参拝に行く。二人とも71年前は士官候補生として富士山麓野演習場で野外演習中であった。ここで天皇陛下の「玉音放送」を聞いた。今年5月27日、オバマ米国大統領の広島訪問は歓迎された。確かに「核廃絶」への強烈なメッセージとなった。私は思う。各国の首脳も広島を訪問、慰霊碑に献花すべであると。「あの2個の原子爆弾は日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない20世紀後半の世界中の人間を代表して地獄の火で焼かれたのだ」(井上ひさしさんの言葉)。あれから71年、核保有国に蓄積されている核弾頭は5万発。その威力はヒロシマ型原爆の20倍だという。それなのに核廃絶は遅々として進まず、核開発に狂奔している国さえあり、核拡散の恐れさえ出てきている。

「こときれし子をそばに木も家なく明けてくる」
「あわれ七ヶ月のいのちの はなびらのような骨かな」
「降伏のみことのり 妻を焼く火いまぞ熾りつ」(松尾あつゆき)。

人間はどこまで愚かなのか。

オバマ米国大統領は広島演説の中で「人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示された」といった。あの日午前8時15分広島上空580mまで落下したウラン型爆弾は爆発、その瞬間、爆心は摂氏400万度、0.1秒後直径30メートルの火の玉が生まれ、その温度は30万度、さらに火の玉は直径500mまで急速に膨張、10秒間輝きつづけた。爆発後1秒から2秒までの1秒間の温度は1万2000度。太陽の温度が6000度だから太陽が二つ現れたことになる。その熱線ですべてのものが溶けた。爆風は秒速350m、大抵のものが溶けながら吹っ飛んだ。さらに放射能による被害。広島で18万余、長崎で10万余の犠牲者が出た。この原爆投下によって日本の敗戦が決定的になったといえる。

「げんしばくだんが落ちると
ひるが夜になって
人はお化けになる」(坂本はつみさん・小学3年生の時の詩)

この事実を世界の人々は他人事と聞いてはなるまい。自らを破滅に導く爆弾である。人々よ。思い出せ。記憶せよ。語り継げ。この地に来れ。見よ。語り伝えよ。

「幾万の顔の雲湧く原爆忌」(木田千女)
「それぞれの晩節に入る長崎忌」(片岡ヨウ子)
「涙する父と暮らせば原爆忌」(悠々)

(柳 路夫)