花ある風景(600)
並木 徹
「花は心、種は態なるべし」友人の謡を聞く
第三回東京真謡会大会に友人・別所末一君が出演するというので聴きに行った(6月18日・東京千駄ヶ谷・国立能楽堂)。別所君が演じたのは、独吟「鵜ノ段」。初め彼が希望したのは「鉢の木」。この出し物は冬だというので見送られたという。舞台に出て来た彼の姿は凛々しく、風雪に耐えた古木の感があった。この日の出演者中、彼が最高年齢である。
「鵜籠を取出し・・・この身の名残惜しさを如何にせん名残惜しさを如何にせん」約4分。節に艶があって聞かせた。あっという間であった。「鵜飼」の能舞台を見たいと思った。演じた後、別所君の話では「立ち姿は大切だ。相手がどう見ているか気をつけよと戒められている」という。彼の芸歴は40年に及ぶ。昨年冬、卒寿記念として場所は京都観世会館、素謡「関町小寺」をシテとして演じた(平成27年11月28日)。60分間、正座、見台なし。ワキ分林能楽師が務めた。すごいと思う。
「梅雨晴れ間古木他圧す能の会」悠々
「風姿花伝」(世阿彌著・岩波文庫)にいう。「花を知らんと思はば、まず、種を知るべし。花は心。種は態(わざ)なるべし」
別所君の前に演じられた能は「羽衣」(シテ分林照子・ワキ福王和幸・ワキツレ村瀬堤)である。飛翔する天女の舞に酔いしれた。羽衣を返したらそのまま天に逃げ帰ってしまうと疑う漁師白竜に天女は優しく言い返す。「いや、疑ひは人間にあり。天に偽りなきものを」。しばし私はこのセリフを繰り返えす。舛添要一がせめてこの「羽衣」を見ていたら都知事の職を棒に振らずに済んだだろうと思った。富士の山頂から天上へ渡る道をたどって月の世界へ帰る天女の姿は神々しい限りであった。
「紫陽花や羽衣の舞眼開かる 悠々
同行の霜田昭治君。幼稚園時代習った謡で覚えているのは「よもつきじよもつきじも」の一節だけ。それが「邯鄲」の出典と知ってそのままにしておいたのがこの会で舞囃子「邯鄲」を上演するというのでレストランで一服する私らを置いて一人で会場に行く。好奇心旺盛なのに感心する。私は寄宿舎にいた中学生時代、日曜ごとに舎監から「竹生島」を習った。出だしだけは覚えている。午前中に素謡「竹生島」(ツレ小沢久仁子・シテ長野久美子・ワキ佐藤よし子)が演じられたのをプログラムで知った。新聞記者時代、音楽会の取材を再三したが,能の取材は皆無であった。無芸大食で今日まで来た。別所君の「鵜ノ段」も「羽衣」の解説も先生について謡を勉強した荒木盛雄君がコピーを取って用意してくれた。別所君がこの会に出演すると知ったのも同期生小高貞三郎君の甥・神保明生君からであった。同期生の縁に感謝のほかない。
「鵜ノ段に能語りあう深い縁」悠々
「独吟の鵜の段凛と晩夏光」紫微
「薫風や鵜の段吟ず卒寿翁」紫微
「鵜の段吟ずる卒寿五月晴」紫微