銀座一丁目新聞

安全地帯(504)

星野 利勝

叱られたことのない子

友人の小児科医・星野利勝君が6月1日号の茶説「子供には厳しいしつけが必要だ」を読んで平成19年に他の会報誌に掲載した原稿を送ってくれた。今なお聞くべき意見だと思うので再録する。

昔(戦中、戦前)、父親たちは子供達にとって強くて怖い存在だった。これは我が家の父親に限らず、遊びに行った友達の家の父親も同じだった。滅多に怒らない代わりに、悪さをした時の父親の一喝は子供たちを震え上がらせるに十分であった。もう二度とやらないからと言って許しを乞うたものである。気の弱いものは尿をチビッたりした。

ところがこの頃の子供は、家でも外でも大人たちから震え上がる程本気で叱られた経験が一度もないのではあるまいか。そんな想いをさせられる子に時々出くわすのである。

診療室で母親の言うことを聞かずに逆切れして母親を叩いたり足蹴にしたりするのがいる。「お母さんを蹴ったりするもんじゃない!」

つい昔の癖が出て大声で怒鳴ると、子供は一瞬たじろいで一体何が起こったというんだという顔をしてこちらの眼を見つめる。そこに見たこともない恐ろしい眼を見たに違いない。

「お母さんにあやまりなさい!」と放った二の矢で突然ワーツと泣き出す。母親の方もわが子が大声で怒鳴られてオロオロするばかりである。恐らくこの子のお父さんは大声で子供を叱りつけたこともない優しいお父さんなのであろう。

一人っ子政策時代生まれた中国人の子供達は、見ていると皆我が儘で親の言うことなど聞かない。大切にされ過ぎた結果を見る想いである。家庭だけではない。学校でも同様である。昔の先生はルールを外れたことをすれば、ビシビシ生徒を叱った。今は後難を恐れてか、先生方もおとなしい方が多い。その代り教育にせ骨が抜けた感がある。本気で震え上がらせる程叱られた経験のない子が免疫のないまま社会へ出て行くと、叱られたり注意されたりした時に、必要以上に落ち込んだり、逆切れして飛んでもないことを仕出かしたりするのではあるまいか。

最近は30代のウツ病が多いという話題をテレビ取り上げていた。そう云えば先日こんな話を聞いた。或る大手の建設会社に勤める中堅の社員からである。「最近の若い社員に一寸注意したり叱ったりすると、落ち込みがひどくて仕事に支障が生じるので、こちらの方が気を遣わなくてはなりません。しかし困るのは得意様と面談中、先方はこちらに対して遠慮なく色々と文句を言ったり時には怒鳴られたりすることもあります。若い連中がそれがきっかけでひどく落ち込み、揚句の果てにウツ病になることがあるので困っています」と。

若い人のウツ病の遠因の一つに叱られたことのない育ち方が一役買っているのではないか。子供の時から叱るべき時には本気で叱ってやることは、叱られることへの免疫をつけると云う意味からも案外大切なのではないだろうか。