銀座一丁目新聞

安全地帯(502)

信濃 太郎

前進座の「東海道四谷怪談」

「夢よりもはかなき世の中を、なげきわびつつ明かし暮らすほどに」(「和泉式部日記」)と平安中期の歌人が書いて1000年余。人間の気持ちは今もそう変わらない。今の世は夢よりはかない。人は常に刺激を求めてやまない。

時に怪談劇に酔う。我がブログに記す。『時は流れてゆく。間もなく6月。無為に過ごせしや…このところ立て続けに映画「ちはやふる 下の句」「殿 利息でござる」前進座「東海道四谷怪談」をみる。何かせっつかれている感じである。心の余裕がない…「また四枚の般若、よのつねにおこなわれる、行・住・坐・臥なり」日常生活の中に悟り有。凡人はいくら「正法眼蔵」を読んでも答えは出てこない。しょせん人間は答えを求めて旅を続けるほかないのであろう。「この道や 行く人なしに 五月晴れ」詠み人知らず』(5月20日)

前進座のお芝居の場所は半蔵門の国立劇場。満員であった(5月19日・大劇場)。鶴屋南北の作品(文政8年・1825年)。主人公民谷伊右衛門(嵐芳三郎)は舅、小者を殺害、妻を裏切る。貞淑なお岩の(河原崎国太郎)怒り、毒薬を飲まされて崩れてゆく顔、お岩は死んでから強くなってゆく…4幕10場の舞台展開は観客を飽かせない。

鶴屋南北は文化。文政時代(1805年から30年)の歌舞伎作者、74歳の生涯に120編の作品を残す。南北は義父の芸名。「お染久松色読販」(うきなのよみうり)などの名作を世に送り出す。時代は11代将軍家斉の世で幕府の財政が行き詰まり、江戸文化は爛熟と退廃の中にあった。

人は「狂」にしびれる。「何せうぞ くすんで 一期(ご)は夢よ ただ狂へ」(閑吟集・小歌集)。舞台では直助(藤川矢之助)が与茂七と(瀬川菊之丞)ともに殺した横恋慕のお袖(忠村臣弥)が実の妹と分かりさらに裏田圃で殺した男が主人の息子と知って自害する。伊右衛門は死霊となったお岩に悩まされる。最後に伊右衛門は与茂七と小平の女房お花(河原崎国太郎)に仇討ちをされ死んでゆく。観客は休憩時間を含め5時間、舞台が醸し出す「悪業・地獄・近親相姦・殺人」の南北の世界に吸い込まれる。 あんまの宅悦(柳生啓介)は「世の中のこわい物というは、やきもち深い女と人切り庖丁をさしている侍」と言う。現代は変わった。女性は嫉妬せず離婚する。男はストーカーに走り女性を刺傷する。そのような世に「ただ狂う」人がいるのはこの世は憂きごとばかり多いからであろう。

「憂きごとの 多きこの世に 怪談の 狂に酔える けふぞ楽しき」(詠み人知らず)