銀座一丁目新聞

花ある風景(597)

相模 太郎

湘南版「恩讐の彼方に」
オバマ大統領広島訪問に感あり

正月恒例の大学駅伝が走る国道1号線旧東海道沿い藤沢市に時宗(じしゅう)総本山「清浄光寺」(遊行寺)(ゆぎょうじ)がある。そこに国史跡「怨親平等碑」と言われる「敵味方供養碑」が立っている。この碑は室町時代初期、応永23年(1416)鎌倉公方の足利持氏に関東管領であった上杉禅秀が反乱を起こした際の敵味方の戦死者供養碑である。長野県佐久市野沢の金台寺にはその時の鎌倉あたりのいくさの様子を記したと思われる書簡も残っていて実見したことがある。当時時宗の僧侶は戦死者に引導(いんどう)を渡す従軍僧として活躍した。敵味方供養碑には次のように刻んでいる。

南無阿弥陀佛
応永23年(1393)10月6日より兵乱、同24年に至る。在々所々において、敵御方箭刀水火のために落命せる人畜の亡魂、皆悉く浄土に往生せしめん故なり。この塔婆の前を通る僧も俗人も十念(十度念仏を唱える)あるべき者なり。
応永25年10月6日

鎌倉五山の第二位、円覚寺(瑞鹿山円覚興聖禅寺)は、弘安2年(1279)北条時宗が国家鎮護と文永・弘安再度の元寇の両軍犠牲者の菩提を弔うため、来日していた中国南宋の僧無学祖元(むがくそげん)(佛光国師)を開山に戦後、敵味方供養のため建立した大寺院だ。無学祖元は南宋の寺院に居た1275年、元軍の来寇に遭い少しもひるまず「・・・・珍重す大元三尺の剣 電光影裏に春風を斬らん」との有名な「臨刃の偈(げ)」を残す。

江の島近くの片瀬にある、しだれ梅の名所、日蓮宗常立寺(じょうりゅうじ)には建治元年(1275)「門をいずるとき妻子 寒衣を贈り問う わが西行いく日にして帰る」のことばを残して来日した元の使者杜世忠(とせいちゅう)等を北条時宗は処刑するが、のち供養の五輪塔を建立する。今でも香華が絶えず、横綱朝青龍も同胞としてお参りに来たことがある。

大船駅西側大船観音直下の道路の傍らに五輪塔群があり、玉縄首塚と称する。ここは、大永6年(1526)下総の里見氏が攻め込んで来たとき、大船にあった玉縄城主の北条氏時(小田原北条の一族)が防戦し、敵味方の戦死者の首を埋め供養塔を建立した史跡である。

参考に附記すれば高野山金剛峰寺の奥の院に詣でれば参道両側には、呉越同舟、上杉謙信と武田信玄、かの有名な比叡山焼き討ち、石山本願寺殲滅の張本人の仏敵織田信長の墓所まである。東京日野市の高幡不動の胎内文書から 後醍醐天皇と怨敵北条高時の名が、共に供養されているのが判ったそうである。沖縄戦の犠牲者供養の平和の碑(いしぶみ)。靖国神社の本殿の傍らに並んで建つ本殿合祀の基準に外れた方々を祀る鎮霊社もおなじである。北九州各地にある蒙古塚も元寇の犠牲者を埋葬していて供養されている。

巷(ちまた)にとびかう慰安婦、南京虐殺デマを流し、墓を暴いて死者を穢す、怨念は千年とうそぶく諸国とは反対に、わが国民がいかに寛容であるか。日本の諺「昨日の敵は今日の友」、オバマ大統領がサミットで来日、核兵器廃絶を願い犠牲者の追悼のための広島訪問をとやかく言う人々は、もう一度歴史をひもとき日本伝統の美徳、「先哲の遺訓」を想い起こししてもらいたいと思うや切である。


円覚寺(鎌倉市北鎌倉)

玉縄首塚(鎌倉市大船)

敵味方供養塔(藤沢市遊行寺)

元使塚(藤沢市常立寺)