銀座一丁目新聞

追悼録(596)

友人四方洋君の死を悼む

毎日新聞社会部で一緒に仕事をした四方洋君が亡くなった(4月29日。享年80歳・元サンデー毎日編集長)。まことに多彩な活動をした記者であった。毎日新聞を辞めた後も病院の事務管理を担当するなどユニークな仕事をしたバイタリーのある男であった。彼の死を知ったのは5月7日午後戸隠から帰ってきた時であった。パソコンを開くと、社会部からのメールが来ていた。「通夜が5月2日午後7時半、千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会で。告別式は5月3日午後1時半、同所で執り行われます。喪主は妻(くみこ)さんです」とあった。まことに残念であった。

四方君と会ったのは昨年5月9日、私が社会部長の頃の部下10人が開いてくれた卒寿の会であった。この時、四方君とはゆっくりと話し合ったのがせめての慰めである。四方君らの近況報告が面白かった。みんなそれなりに活動したり勉強したりしており感心させられた。四方君は近く『新聞のある町』を出版する話をした(発行2015年7月15日・清水弘文堂書房)。全国26か所を廻りその町のコミュニティー新聞を克明に調べた著書で、地域がいかに身の回りのニュースを欲しがっているかがよくわかった。この本の中で「地方創生が言われている。地域紙よ、怒れ。戦後第3の開花期が近づいているいと信じたい。拙書が応援歌になれば、これ以上の喜びはない」と書いている。この本について私なりの感想を2015年8月10日号で書いたので彼を偲びつつ紹介する。

『「読者は必要なニュースを欲しがっている」。「ニュースは何処にも落ちている」。江戸時代の瓦版から現代の新聞まで発行形態・規模の大小を問わず読者にとって「新聞」が必要な理由である。四方洋著「新聞のある町」-地域ジャーナリズムの研究―を読んでそのことを痛感する。26の「地域紙」を取り上げた四方さんは「ブロック紙,県紙よりも狭いエリアに密着する地域紙は新聞退潮の時代でも堅実な需要をつかんでいる」と言っている。ここに新聞の原点があると思う。新聞は大いに参考にすべきであろう。

地域住民が欲しがるニュースとは何かと言えば「身の回りの情報」である。誕生・葬式・人事異動・消息・噂など。災害時には肉親や知人の安否・消息・被害状況・救援の状況などである。大船渡市にある『東海新報』は市が避難所に張り出した生存者名簿を紙面化して発行した。奪い合うほどであった。創業者の父親は地域紙を「田舎まんじゅの味」と言っていた。この新聞には社説はない。偉そうなことは言わない。その代り「世迷言」と言うコラムがある。報道のコツは出来るだけ多くの人の名前を出すことだそうだ。大きな被害を受けた気仙沼市と南三陸町をエリアとする『三陸新報』も安否情報、死亡者の名前、ついでスーパーや銀行が「開いています」の生活情報を載せた。地元だからこそつかんだ重要なニュースを報道している。実は復興がはかどらないのは予算がつかないのでも役所が怠慢なのではなく人手不足が大きな原因なのである。求人広告を『三陸新報』にのせるのだが広告主から「一向に求人が集まらない」と苦情を言われて調べたところ「瓦礫処理など賃金の高い仕事」へ人手が取られている実情が分かったからだ。

長野県松本平18市町村をエリアとする『市民タイムス』は「おくやみ報道」で知られる。エリア内で亡くなった人のすべての名前を載せる。しかもその人の業績・エピソードを織り込む。この「おくやみ報道」でそれまで近隣や縁故者に喪主が送っていた通知状をなくさせるなど松本地方の新たな葬儀習慣を作った。またこれに真似て県紙や全国紙の地方版が死亡記事を載せるようになった。さらに事業が素晴らしい。チェコ放送交響楽団(1986年・15周年事業)オペラ「フィガロの結婚」、ハンブルグ交響楽団、NHK交響楽団など音楽会を開いている。経営者の識見と言うほかない。地域の人物を発掘するのも地域紙の仕事だ。修復保存活動で評価された愛媛県八幡浜市の日土小学校校舎の設計者松村正恒さんをいちはやく取り上げたのは『八幡浜新聞』である。南房総に65年の歴史を誇る「房総日日新聞」はサービス業に徹する。細かくニュースを取り上げる。テレビ番組はない。それぞれに地域の特性を生かしながら地域に密着した新聞作りをしている。もちろん経営者の人柄・手腕・資力が大きく影響している。地域紙は全国に203紙ある(日本地域新聞ガイド2014年―2015年版の日本の地域新聞による)。発行紙のベストテンを上げると、長野県22、北海道20、新潟県16、東京都10、静岡県9、秋田県、三重県、和歌山県、山口県各7、京都6となっている。地域紙がないところが鳥取、徳島、高知戸3県ある。部数は1万足らずのものから10万部を超えるところもある。全国紙、ブロック紙、県紙とはおのずとすみわけが出来ている。だが地域紙が住民に密着した記事で生き延びている事実は全国紙を含めて示唆に富む。今、住民(読者)が欲するニュースを常に己に問い、企画し取材せねばならない。タブロイド8ページの新聞に「地元の人の名前を300人以上載せる」(須坂新聞・週一回刊)に負けない企画、記事を提供しなければならない。地域の病院の小児科の崩壊を救ったのは地域新聞(丹波新聞)に載った母親11人の座談会であった。時に問題解決の役割を果たすニュースも必要である。ネットに押されて新聞を読まなくなった若者が多くなり、スポンサーも広告を出さなくなった。それでも活字文化が読者のために活躍する舞台が無限であり、生き延びる姿があることを「地域紙」がはっきりと示している』。読み返してみても四方君は立派な仕事をしてこの世を去ったと思う。心からご冥福を祈る。

(柳 路夫)