安全地帯(500)
宗教書をひも解く
今、秋月竜珉著『正法眼蔵を読む』(PHP研究所刊・昭和58年10月5日第7刷)を手にしている。『正法眼蔵』は道元の「体験書」である。一節づつ味わいながら読んでいる。自分に仏性があるという説にいたく感心する。今後この己の仏性を伸ばしたいと念願する。「現代に生き抜く120の知恵」とサブタイトルにあるように120の説話がある。30年も前に友人に薦められてそのままにしていた本である。まことにズボラと深く反省する。昨今は90歳を過ぎたせいであろうか、宗教書に目がゆく。
我が家の宗教は神道である。両親の葬儀は神式で行った。日常生活では仏教の方が影響を受ける。鮮烈な印象を受けたのが毎日新聞の三原信一社会部長(昭和30年3月から昭和33年8月まで)であった。和歌山のお寺の住職の家(本願寺派浄国寺)に生まれ住職の資格を持つ。3年間の在任中53人の社会部員の首を切った(社会部の平均年齢は32・1歳となった)。中には異動を拒否する記者もいた。その時の三原社会部長の奥の手は「お経」であった。特に親鸞の「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の言葉で説得されるのを常とした。
50歳を過ぎて影響を受けたのは陸士の先輩後藤四郎さんである。この人は「敬神」をモットーの一つとされた。朝必ず祝詞を捧げられた。後藤さんから「天行居神拝祝詞」をいただいた。小倉に在勤中、我が家に泊まられたことがあった。その朝、ベランダに出て「禊祓詞」を唱えられた。「高天原」は「たかまがはら」ではなく「たかまのはら」と言うのが正しいとその時、知った。今でも大切にして持っている。後藤さんは心を平常心に保つうえで「敬神」が必要だと説いておられた。
関牧翁の「禅の話」(毎日新聞刊・昭和49年11月20日発行)にこんな箇所がある。「霊雲和尚があるとき美しい桃花を一見してから『20年来の心の疑問が一時に解決した』と自分でうたっている」厳しい規律と激しい修行の中で心の悩みを解決されたのであろう。桃花を見て美しいと感ずる人こそもののあわれを知る人である。最近、友人宅にお世話になった際、庭に赤く咲く三つ葉ツツジを「きれいだなあ」と感じた。聞けば亡くなった奥さんが20年前に植えたものだという。ツツジが咲くのを見ると妻を思い出すと友人がしんみりと言っていた。私は美しいツツジを見ても漠然としてある心の不安は解けなかった。ユダヤ格言集に「愚か者にとって老年は冬である。賢者にとって老年は黄金期である」とある。私にとって今は冬でもなければ黄金期でもないが、「喜怒哀楽交々、明暗相双」。しばしば右往左往する昨今である。