銀座一丁目新聞

追悼録(595)

何も思い煩うことはないのです

90歳を超えるといつ死んでもいいように思うようになった。勤め先の同期の連中10人ばかりは5年前に私を除いてすべてあの世に旅立った。「寿命は天の定まるところ」らしい。昨今、足腰が弱りあちこちに痛みが走る。この痛みがなくなった時が三途の川を渡る時であろう。だが、死ぬ準備は何もしていない。友人の一人だけが生前に「死亡記事」を書いた。その書き出しは「棺は50年前の社旗で覆われ、往年の事件記者を送るにふさわしいものであった」というものであった。俳句も添えられていた。「冥途ゆく吾を肴に古酒を酌め」「散華せし戦友の待ちゐる黄泉路かな」。

つい最近、友人からヘンリー・スコット・ホーランド(イギリスの神学者・1847-1918)の詩が送られてきた。「死別の悲しみを癒すために書かれたこの詩はイギリスでは故人を偲ぶ場所で広く読まれているそうです」と添え書きがあった。死をほどなく迎える人にとっても納得のいく内容と快い響きを持っていると、いたく感心して何度も読み返した。

『死は 特別なことでは ないのです。
私は ただ隅の部屋にそっと移っただけ。
私は私のまま、そしてあなたもあなたのまま。
私たちがかってお互いのことを感じていた そのままの関係です』

( Death is nothing at all.
I have only slipped away into the next room.
I am I, and you are you.
Whatever we were to each other
that we still are.)

『私のことを これまで通りの親しい名前で呼んでください
私に話しかけてください、いつもの通りの気楽な調子で。
あなたは 声の調子を変えたり、無理して厳粛にふるまったり
悲嘆に暮れたりはしないで下さい』

(Call me by my old familiar name.
Speak to me in the easy way
which you always used.
put no difference in your tone
Wear no forced air of solemnity or sorrow.)

『私たちがちょっとした冗談に 共に楽しく いつも笑っていたように
どうぞ笑ってください。
人生を楽しんで、微笑んで、私のことを思って、私のために祈って下さい。
私の名前が 今まで通りのありふれた言葉の様に、皆で私のことを話して下さい。
私の名前が何の苦労もなく、少しの影もなく、あなたの口にのぼりますように』

(Laugh as we always laughed
at the little jokes we enjoyed together,
Play ,smile,think of me ,pray for me.
Let my name be ever the household word
that it always was
Let it be spoken without affect,
Without the tracs of a shadow on it.)

『人生の意味は
今と変わることはないのです。
人生はこれまでと同じなのです。
そしてこれからもまったく途切れることもなく続いていくのです。
私が見えなくなったからといって、
私が忘れ去られてしまうなんてことが なぜあるのでしょう』

(Life means all that it ever meant.
It is the same that it ever was.
There is absolutely unbroken continuity.
Why should I be out of mind
because I am out of sight?)

『私はあなたを待ち続けます。
どこかでとてもちかいところで、
すぐそこの角を曲がったところにいて、
だから
何も思い煩うことはないのです』

(I am waiting for you
for an interval,
somewhere very near,
Just around the corne
ALL is well )

(訳・宮島瑞穂さん)

心理学者ユングは「死者は死後も自己完結の旅に出かける」といった。死は生の終着駅ではなく通過駅に過ぎない。ユングは山手線のように考えたのだろうか。内回り・外回りの違いがあっても私も死後は自己完結の旅に出たい。戦時中、軍の学校で学んだ私は「股肱の臣」と言われ「死を覚悟」した。敗戦で軍人の道が挫折、戦後は「余白」であった。それぞれの道で祖国再建のために懸命な努力をした。戦後ジャーナリストになった私は取材重点を決め「決心・攻撃」と突っ走った。いつしか「独断と偏見」の性格をもじって「ドクヘン」とあだ名がつく。デスク時代は部下への厳しさ故に「鬼軍曹」と言われた。今は人格も円満になり「ホトケ」と呼ばれる。死が通過駅とすれば派手な葬儀は必要ない。近親者のみの葬儀がふさわしい。出来れば音楽を流してほしい。その時は通過駅の駅ビルの一隅の「喫茶店」でコーヒーでも飲みながらその音楽を聴くことにする。

「桜散る南無阿弥陀仏吾一人」悠々

(柳 路夫)