銀座一丁目新聞

安全地帯(498)

相模 太郎

百観音巡礼の大願成就

桜花爛漫の本年、4月1日、42年の歳月をかけ、ついに念願の西国観音33箇所より、坂東観音33箇所、秩父観音34箇所、合計百か所の観音参拝を終わり、無事大願を成就(じょうじゅ)した。決してエイプリルフールではない。思えば昭和47年9月8日(老生、当時47才)、紀州(和歌山県)観光の途次、那智の滝、熊野古道観光の途次、西国観音めぐり第一番札所であった青岸渡寺に参拝したのがきっかけで、もちまえの旅行好き、これを理由に旅行すれば、目的ができて面白いだろうし、お寺のご朱印をいただくことで、よい思い出になり功徳にもなるだろうと軽い気持ちで始めることになった。幸い、昔から札所になるお寺はすべて近くに観光地をひかえており楽しみは倍増する。

観音巡礼の歴史は古くは奈良時代からあったらしいが、庶民の信仰として盛んになったのは江戸時代になってからであった。当時お遍路さんとして徒歩で札所を番号順にお寺を巡り、きまった衣裳に杖をついて草鞋(わらじ)掛けでご詠歌、お経を唱え巡拝した。泊まりは粗末な旅籠(はたご)、時には民家の軒を借り、あるいは野宿、その歴史は省略するが、庶民の信仰、修行として老生のような、軽率な考えではなく、真摯(しんし)に悩みの解決とか、極楽往生を願って観音様にすがったのであろう。各所に巡礼道があり、老生のいる鎌倉にも巡礼道の山越え、石仏や石碑のある古道(坂東33箇所第一番杉本寺から逗子の二番岩殿寺)が一部面影を残している。また、秩父33箇所めぐりでは範囲が狭いせいか、運動靴ではあるが昔と同じ格好で徒歩で巡礼されている方に時々お会いした。現代は、ほとんどが鉄道、バス(団体は観光バス)、自家用車、タクシーを利用して観光旅館に泊まるぜいたくな巡拝になりさがってしまった。かく言う足腰が不自由の老生も同じで、坂東観音霊場巡拝2回目(現在3回目)以後は、息子のようにお付き合いしていて、共に母校に勤めた後輩のT君(昨年定年)が共鳴し、彼のベンツで温泉旅館などに泊まり、老生は案内役、ご親切にも自宅まで送迎してくれ、ガソリンただ、あとは割り勘、全く結構なお遍路で感謝のほかはない。

思えば西国33箇所観音めぐりは長かった。西端は姫路の書写山円教寺、北は天橋立の対岸の成相山成相寺(なりあいじ)、東は岐阜県谷汲山華厳寺、南は紀伊半島南端に近い那智山青岸渡寺である。満願は平成10年11月12日、勤めていたころだから、無理もなかったが若かったから面白い思い出もある。大体、安上がりに大阪のビジネスホテルを利用し、夜の散歩でミナミのヤクザにあいさつされ、ストリップ劇場へ案内されたことがあった。とんだ観音様参りだ。ともかく最後の第33番谷汲山華厳寺で満願のご朱印をいただいたときはなんとなくポロリと涙が。元気で来られたのは観音様のご利益(りやく)か。

坂東33箇所観音めぐりは、老生在住の鎌倉附近には札所が4箇寺あるので一念発起、昭和55年3月2日まず第一番札所大蔵山杉本寺より始まった。しかし、巡拝の多くは鎌倉時代の正史「吾妻鏡」の勉強が始まってからで、関東地方は源頼朝に従い、坂東武者が疾駆したところ、関西の源平合戦とともに史跡の宝庫、愛車を駆使してビジネスホテルを利用し、趣味と実益の歴史探訪を兼ねて昭和62年4月3日の補陀落山(ふだらくさん)那古寺で満願できた。範囲は関東地方一円、西は埼玉県都幾川町の都幾山慈光寺、北は福島・栃木との県境、茨城の八溝山日輪寺(標高800m)、東は千葉県銚子市の飯沼山円福寺、南は房総半島先端の補陀落山那古寺である。当時はナビもなく、休みを利用し、運転好きの愛妻と交互に運転しながら、史書、案内書、地図と首っ引きの巡拝であった。2回目はご朱印を笈摺(おいずるー袖なし襦袢)に、今は3回目で掛け軸のご朱印をいただく巡拝中、近くはT君と日光、榛名方面を予定している。

秩父34箇所巡りは範囲がせまく、T君の案内(ナビ)で本年3月30日より2泊3日でまわれた。秩父は、いたるところに手打ちそばの店があり、セメント会社脱サラのご主人夫婦自家栽培のうまい手打ちそばを、からかいながら賞味し、青雲寺のしだれ桜、場所により山容の変わる秩父象徴の武甲山などが観られ、小鹿野では懐かしい中学の親友で、かつ陸軍士官学校の同期生(現在医院開業)H君に面会できたのはうれしかった。肝心の杖を札所に忘れ、8か所もバックし、やっと見つけたのがなんのことはない気が付いた最初のところだったというお粗末。お寺の本堂は、だいたい長い階段を上がる。したがって納経所はその近くにあるので階段を省略するわけにはいかない。数百段もある札所で、朱印帳を忘れたのに気付き、取りに帰ったときは大分こたえ、ボケ卒寿を自覚。登りより下りは持病のヒザ痛でつらいが、観音さまのおかげでなんとか満願し、都合、百観音の巡礼を達成し、結願(けちがん)の終了証書を満開の桜の中、最後の第34番札所日沢山(にったくさん)水潜寺でいただくことが出来た。まさに道楽の極み。今、仏壇に供えている西国、坂東、秩父の3冊ご朱印帳と笈摺は、老生冥土へのみやげとして棺(ひつぎ)に入れてもらうことになっている。ただし、地獄に行くのか、極楽に行けるのか?それは問題だ。


百観音結願証

満願の秩父第34番札所 日沢山水潜寺