銀座一丁目新聞

茶説

何のための児童相談所か

 牧念人 悠々

子供の虐待事件があるたびに「児童相談所は何をしていたのか
と疑問に思っていた。ここの職員は「命の大切さ」を知らない。児童の命が失われたのに「法律上それ以上のことが出来なかった」と言い訳をする。子供の命を守るために法律の枠を超えたからと言って誰もその職員を非難しない。「児童福祉法」第2条は「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに児童を心身共に健やかに育成する責任を負う」と定める。「法律厳守」か「命を守る」か。両親から虐待を受けて相模原市児童相談所に保護を求めた中学2年の男子生徒が自殺を図り死亡した事件(今年2月末)にその感を深くする。

児童相談所は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方に向かっている」として生徒の一時保護を怠っていた理由を述べる。「それで済む話か」と考えさせられる。新聞・テレビの報道などからその経緯を追ってみる。

話は2年5ヶ月前にさかのぼる。2013年11月、当時小学生であった生徒の額や顔に傷があるのを先生が気づき相模原市の中央子ども家庭相談課に通報。同課は生徒と面談する。テレビ報道によると母親は生徒と弟を連れた再婚。父親はなぜか弟ばかりを可愛がったという。2014年5月末、生徒がコンビニエンストアに「親に暴力を振るわれた」と逃げ込み警察に保護される。児童相談所は事情を聴いたうえで虐待と認定。毎月1から3回程度生徒と両親を一緒に児童相談所に通わせる。その際、生徒は「暴力を振るわれるので家に居たくない」「児童養護施設で暮らしたい」と保護を訴えた。その後、母親の体調不良から児童相談所に3人が来なくなった。専門家は「来なくなったのは事態が深刻になったサイン」と指摘する。10月上旬、児童相談所の所長が生徒の一時保護を求めたが両親が拒否する。「児童の一時保護」は児童相談所の主たる業務である(同法第15条2)。両親の拒否にあえて職権を振るうかどうか、思案のしどころだ。だが、この判断が出来ないとあっては児童相談所存在の意味がない。

10月下旬、中学校の先生から「男子生徒が親から暴行された」と児童相談所に連絡がある。職員は所長にも報告せず一時保護の検討もしなかった。もちろん家庭訪問も学校に出向くことも生徒から事情を聴くこともなかった。惰性で仕事をしているとしか思えない。酷な言い方かもしれないが児童福祉に対する責任感ありやなしやと問いたい。学校の担任の先生ももっと親身になれなかったものかと思う。

児童相談所は、児童福祉法(第12条)により各都道府県に設けられた児童福祉の専門機関である。電話番号の189番。24時間365日児童虐待や子育ての相談を受け付けている。これが建前である。実情は無為無策といっていい。相談を受けても他人事と捉え対応する。無責任極まりないといわざるを得ない。生徒は2014年11月中旬、祖父母の家で首つり自殺を図り、心身に重度の障害を負い、今年の2月死亡したという。児童相談所は子供命を守るところである。真面目に仕事をするというのは責任を果たすことを指す。その責任を果たしたと言えない事案がここ数年起きている。遺憾と言うほかない。