銀座一丁目新聞

茶説

5年を迎えた東日本大震災

 牧念人 悠々

「震災のこころ引きずる去年今年」(高橋喜代) 東日本大震災は3月11日で5年を迎える。死者15894人、行方不明者1563人。他府県への避難者4万3000人。大震災の傷跡は今なおいたるとこに残る。天皇皇后陛下は復興状況ご視察のため16日から18日まで福島県、福島県を訪問される。両陛下はこの5年間、毎年、被災地を訪問され、苦難を分かち合われた。この大震災は言い知れぬ深い心の傷を我々に残す。

「妻失くし家も友なし寒き春」(詠み人知らず)
「避難先すする雑炊屑菜も入る」(大坂君江)

岩手、宮城、福島の3県で「孤独死」が16人に上るという(毎日新聞調べ)高齢者ほど前へ向いて考えられない。物事を悲観的にとらえる。頑張って生きてきたのに16人のうちこの1年間だけで11人が亡くなった。「一人で食べる食事ほど味気ないものはない。小言を言ってくれる妻のいないのが何ともわびしい」とは孤独老人の独り言である。

「天地には無力の科学春の雪」(那須優則)
「放射能の線量計買ふ麦の秋」(沼田稀代)

被災地の裁判訴訟、続発する。遺族が夫の職場の銀行を、子供を失った父兄が学校を管理不適切、避難時の誘導のまずさなどを訴えて敗訴する。想定外の津波は「予見不可能」であったというのがその理由である。東電に対する原発訴訟は全国で31件、原告は1万2539人。請求金額1132億円と言う(毎日新聞)。大震災は住民と有力な企業のこれまでの友好的な間を完膚なきまで破壊した。故郷を失った悲しみ、健康への不安、東電に対する国の指導・監督責任まで問う。今後、原発は地震の多い日本ではなくしていく方に向かわざるを得ないであろう。

被災地の消防団では消防団員の犠牲者が多かった。そのため津波の際は「逃げろ」と決めた。だが災害時に避難誘導・防災を任務とする団員が仕事を放棄するのはいかがなものかいまだに疑問を持つ。「滅私奉公」が死語となった現在やむを得ないことなのか・・・。その判断は各自に任せるほかあるまい。責任感とは何かを考える良い機会になったのではないかと思う。

最大の教訓は「常に最悪の事態を考えて対処せよ」であった。これは個人を問わず家庭、企業、役所すべてに言えることだ。この原則を守っていたのは「自衛隊」だけであった。「自己完結の組織」でいち早く救援・遺体捜索・復興に大活躍をした。「常在戦場」を、身をもって示した。この教訓は大きな示唆を持つのに気を留めておかなければならない。

「なゐ五年 今咲き誇る 桜花」悠々