銀座一丁目新聞

追悼録(590)

西田善夫さんは我が戦友であった

亡くなったNHKのアナウンサー西田善夫さんはスポニチの社員さながらの仕事をしてくれたと思っている(2月27日死去・享年80歳)。私の社長時代、大きなイベントの司会は西田さんが多かった。イベントの内容を熟知しており、その事業を実施した主催者の意図をくみ取り自分の言葉として司会をした。新聞社の事業は紙面にさらに活気を与え、販売に力を加える。それにさらに彩りを添えるのが司会者である。

忘れもしない。それは「サガルマータ―登頂のお祝い」のパーティ(平成6年1月18日・東京プリンスホテル)であった。「ただ今よりサガルマータ―冬季南西壁世界初登頂に成功した皆さんの入場です」の西田善夫さんの名調子ではじまった。この日、会場は350人の出席者で埋まった。橋本竜太郎、小渕恵三両衆議院議員、中曽根弘文参議院議員、西武鉄道・コクドの堤義明社長、小池唯夫毎日新聞社長らも出席された。席上,私は挨拶した。

「政治の要諦は、国民に夢と希望を与える施策を実行するにあります。冬季サガルマータ―(エペレスト・8848m)に南西壁から登頂に成功したのは、快挙であります。群馬県山岳連盟の登山隊は、巧まずして国民に夢と希望を与えたわけです。英国であるならば、招待しなくても首相が駆けつけて登山隊にその功績と労をねぎらうでありましょう。私は別に日本の首相が出席されないのを不満に思っているわけではありません。本日来賓として、近い将来総理の座につかれるであろう自民党調査会長(当時)橋本竜太郎氏、同元幹事長小渕恵三氏にご出席していただいてうれしく思っております・・・」
予想通り橋本さんも小渕さんも首相になられた。
パーティは司会者西田さんの見事な話術によってあっという間に終わった。その場の雰囲気を読み取って軽妙に話をつなぎ、己の所感を述べた。それはまさにスポニチの一員となって喜んでいる姿であった。選抜高校野球で「勝って泣き、負けて泣くセンバツの決勝」と実況した西田さんそのものであった。

西田さんとの出会いは第1回「スポニチ文化芸術大賞」の贈呈パーティの時であった。この賞の「本音・友情・共感」のユニークさに共感、賛同された司会ぶりであった。

昔の武士はすれ違っただけで「おぬしは出来るなあ」と分かるという。西田さんとはそういう感じであった。つい最近では敗戦時の玉音放送について再三電話をかけて質問したところその都度、事細かく返事をいただいた。感謝のほかない。心からお悔やみを申し上げる。

(柳 路夫)