安全地帯(493)
市ヶ谷一郎
同人雑誌『ゆうLUCKペン』(38集)出版の会
毎日新聞OBの同人雑誌「ゆうLUCKペン」(38集)の出版パーティが開かれた(2月26日。東京・竹橋パレスサイドビル・アラスカ)。今回のテーマは「東京シティー」。参加者は22人。平均年齢80.4歳。東京生まれの執筆者たちの原稿には生活の匂いがする。東京の風土が体に染みついている。読んでいて心に響くものがある。中には子供の頃、作家のサトウハチローとキャッチボールをしたことがあるという者までいる。
被爆経験を持つ松尾康二さんが特別参加してくれた。昨年7月、8月広島で「人の心に平和の砦を築くコンサート」と題して二つの音楽会を開いた話題の人である。来年から何か執筆してくれるらしい。OBの会である「毎友会」会長の平野裕さんも顔を見せてくれた。私はルポ「東京・橋物語」を書く。省略して紹介する。
『さる年の4月、スペシャルイベント『橋めぐり・観桜』に二人の友人と参加する。一人は写真家で外交問題に詳しい霜田昭治さん、もう一人はお医者さんで俳人(俳号紫微)の荒木盛雄さん。参加費5500円、集合場所はJR浜松町駅南口改札出口付近。時間は午前10時半。時間が来ると37人がぞろぞろ世話役に従って歩き出す。目指すは東京・港区浜松町の船宿『縄定』。私たちの船はここから出発する。つり船『鳴瀬丸』(15トンぐらい)に37名の老若男女が乗りこむ。解説者は日大の先生で橋の大家・伊東孝さん。まず隅田川の下流にかかる勝鬨橋をくぐる。築地と月島を結ぶ晴海通りにある。交通が頻繁なところである。伊東孝先生は「勝鬨橋を上げる会」の会長である。勝鬨橋は昭和15年に完成。日本初の二葉の跳開橋。橋の名前は昔ここに「勝鬨の渡し」があったことによる。大型の船が通行するたびに橋が開いたのだが1970年(昭和45年)11月29日を最後に開閉が停止となって今日に至っている。再開するには億単位の金がかかる。伊東先生らが努力をされているが見通しは暗いようである。だが効率ばかりを追求する現在、『勝鬨橋を上げる』話は夢があって面白い。機械の修繕・送電などに10億円ぐらいのお金で済むなら“橋を開く”と同時に何かイベントでもやれば世界中から観光客がやってくるではないか。晴海通りの先には黎明橋、春海橋、東雲橋などがある。この日は快晴.川面をなでる風はやや冷ややかであったが心地よかった。
「潮入りの離宮かすむる春の鳥」、(紫微)
「悠揚と流るる運河春の波」(紫微)。
夢の島公園を右に見て荒川に入る。『荒川ロックゲート』はパナマ運河式閘門が体験できる。荒川から旧中川に入るために水位に高低差があるためにここで調整をする。『鳴瀬丸」がいったん荒川ロケットの中に入る。すると荒川の水門が閉じられる。そこで水位を下げて旧中川の水位に合わせる。見る見るうちの水位が下がる。壁の水位計は-6メートルを記録した(実際は最大3.1メートル)。約20分間。今度は旧中川側の水門が開く。その水門を通る際、かなりの水滴を浴びる。
「水門のかかる護岸の辛夷かな」(紫微)
小名木川・日本橋川に入る。小名木川には12の橋がある。高橋がある。清澄通りである。この通りには相生橋がある。高橋は泥鰌が有名。日本橋をつくづく眺めたのは今回が始めて。明治44年の完成。真ん中に橋脚のある2連アーチ橋である。橋の装飾は多彩、袖柱に擬宝珠を象り、親柱に唐獅子、中央に麒麟、橋灯は様式のランプだ。この界隈の人たちは年に1度、橋を洗い清めている。この中央通りには万世橋がある。
「日本橋の桁下過ぎる花三分」(紫微)
神田川では一ツ橋を通る。左岸に毎日新聞、右に如水会館がある。有楽町にあった毎日新聞が竹橋のこの地に移ったのは昭和41年である。長さ30.6メートル、横27メートル、完成は大正14年12月。この橋はラーメン橋台橋という。東京の震災復興を早くするために道路側に橋台用地を取らなくて済むように考案された。橋台を河川の両側に造り間に主桁を渡す。水流と船の便を考えて橋台はアーチ型である。江東区にはこのタイプ橋が5橋残っている。隅田川に出る。言問橋は昭和3年2月完成、全長237.7メートル、幅22メートル,3経間鋼桁橋、両側は公園である。散歩がてらの人々が船上の我々に手を振る。私たちも手を振った。
午後2時半過ぎスカイツリーがすぐそばに高く見える吾妻橋簡易船着場に着く。北川智子著「ケンブリッジ数学史探偵」(新潮新書)にこんな問題が出ている。「遠くに東京スカイツリーが見えています。その高さを図りたい場合、どんな方法があるのでしょうか」付録に「塵劫記」の「大きな木があった場合、その高さを図るにはどうしたらよいか」の設問がある。その答えも記載されている。今日も東京スカイツリーは多くの人出で賑わう。
「春の水幾何学模様のトラス橋」(紫微)
「江戸の代の橋を廻りてうららけし」(紫微)
「金色の雲電波塔春の空」(紫微・アサヒビール社屋)
「問うなかれ塔の高さを桜咲く」(悠々)』