花ある風景(588)
並木徹
創立113年を迎える日比谷松本楼
去る日、女性二人だけやっている出版社「藍書房」(東京都渋谷区恵比寿)が今年で20年を迎えたというのでささやかなお祝いの昼食会を日本記者クラブのレストランで開いた。その帰り日比谷松本楼でコーヒーを飲んだ。すると思いがけなくも社長の小坂哲瑯さんが一人で姿を見せた。立ち話をする。毎日新聞の論説委員の時、小坂さん(当時専務)に頼まれて「松本楼の歩み―日比谷公園とともに70年」と言う冊子のお手伝いをした。当時、小坂祐弘社長の名前で出したがこの本を企画し、いろいろ準備をされたのは哲瑯さんであった。出版したのは昭和48年9月。お付き合いは42年にもなる。哲瑯社長から平成25年5月に23回にわたり読売新聞に連載された記事「時代の証言『首都のレストラン』」をいただいた。
浮沈の多いレストラン業界にあって時代を先取りする経営手腕は見事と言うほかない。小坂社長は今年83歳になるという。私と知り合ったのが40歳の時である。いささか年を取った感じはするがその覇気は昔と変わらない。私が娘さんの文乃さん(松本楼取締役副社長)が「革命をプロデュースした日本人」(講談社)を出版したことで娘さんの方が今や有名になったというと「そんなことはありませんよ」と真顔でむきになって否定される。この本は孫文と辛亥革命を支えた日本人、梅屋庄吉の生涯を描いたもので大いに話題を呼んだ。ここ松本楼では小坂社長と同じ立教大学を出ているというので同期生の安藤重善君が世話人となって何回か勉強会を開いた。ある時、小坂社長が挨拶の中で2・26事件の話をされた。鎮圧部隊が日比谷公園の広場に野砲を備え付け、砲口を松本楼の真上に向けた。その方向に波乱部隊の拠点があった。撃ちあいになればと言うので帝国ホテルに避難したという。ここでは明治元勲、軍神の国葬も執行されている。戦後ではデモ隊に焼き討ちにもなった。松本楼には日本の歴史と伝統が刻みこまれている。別れ際に、91歳になる同期生が今なお食品会社の社長を務め頑張っている話をした。大会社と違って社長交代は実に難しい。年齢ではなくて天の配剤に属する。「君は兵を挙げよ、吾は財を挙げて支援す」と孫文を励ました梅屋庄吉(哲瑯さんの夫人・主和子の祖父)の座右の銘は「富貴在心」(富や貴さは心の中にある)と「積善の家には必ず余計あり」である。いずれ小坂社長は一番よい判断をされるであろう。