銀座一丁目新聞

花ある風景(586)

並木徹

小西良太郎さんの「昭和の歌100」に感あり

友人小西良太郎さんが「昭和の歌100-君たちが居て僕が居て」(幻戯書房・2016年1月6日発刊)を出した。戦中派の私が初めに取り上げたいのは吉田正の「異国の丘」。国民の耳に届いたのは昭和23年8月1日、NHKのラジオの「のど自慢」であった(番組が始まったのは昭和21年1月19日・聴取料35円)。歌ったのはシベリアからの復員兵・中村耕三さんであった。

「我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る・・・」

シベリアの極限の寒さや飢えと戦い、重労働を強いられた抑留生活。日本兵が生きる望みを託したのがこの歌であった。幾人かの陸士の同期生・中学校の同級生をシベリアで失った私にも忘れ難い歌であった。歌謡少年であった小西さんは5年の学芸会で唱歌から突然この歌に替えてその罰として廊下に立たされた経験を持つという。

本の冒頭の歌8曲は美空ひばりの歌である。ひばりの晩年15年間、美空家から信頼を受け何事にも相談を受けた小西さんにとってみれば当然であろう。「みだれ髪」を作曲した船村徹は「この人の音楽性は、ほとんど神の世界だ。文学性が豊かで、彼女に触発されて、どのくらい自分のレパートリーをひろげさせてもらったか・・」という。私はひばりの「悲しい酒」(石本美由紀作詞・古賀政男作曲)が絶品だと思う。ひばりがこの世を去ったのは平成元年6月24日、享年52歳であった。青山斎場で合掌した人は4万人。最後に指名焼香した3人の黒子の名前を忘れない小西さんの思いやりが清々しい。全国7地区で遺影の前に10万が列を作った。

次は阿久悠である。石川さゆりが歌う「津軽海峡冬景色」(三木たかし作曲)は好きである。石川さゆりの出世曲・代表曲になった。浜圭介作曲の「舟歌」は「詞」がなくて悩む浜圭介に小西さんが何気なく渡した阿久悠の作品であった。曲を仕上げた浜はスポニチまで飛んできてギターを奏でて「舟歌」を小西さんに聞かせたという。私は阿久悠には言葉について教えられた。「時代の壁に跳ねかえってくる言葉がいい」と阿久悠。今やなし(平成19年8月1日死去・享年70歳)。

吉岡治の「さざんかの宿」(市川昭介作曲)。大川栄作のヒット曲となった。これが不倫ソングのはしりとなった。出だしがいい。「くもりガラスを手で拭いて あなた、明日が見えますか・・・」生前、吉岡治はこういった「作詞する場合女、男の血液型を考えます。『さざんかの宿』では女の血液型はB型、男はO型です」かくして名文句が生まれた次第・・・

年間生まれる歌は数知れない。そのほとんどが消えてゆく。名曲は残され続いてゆくがその他の曲は実にはかない。船村徹は自分の6月12日が誕生日であるので6月を「歌供養」として「季語」にしたいとかねてから提案している。消えっていった歌への追悼を忘れない作曲家の存在が尊い。

「歌供養 歌い継がれて いくとせぞ」悠々