銀座一丁目新聞

追悼録(585)

≪今に生きる≫鯨岡阿美子さん

昭和18年から昭和21年の初めに毎日新聞に一人の女性記者がいた。その名を鯨岡阿美子という。社会部先輩の佐々木芳人さんはその著書「エンピツ・酒・古道具少し」(昭和42年6月5日刊・鶴書房)でこう表現する。「今は独立してフアッション界で仕事をしているが、かってNTVでプロデユーサーとして名のあった鯨岡阿美子さんは、政治部に居た。しばらくして、女性タイムスか女性新聞か、名前は失念したが編集責任者となり活躍していた。当時からキリキリシャンとした美しさとキリキリシャンとした仕事ぶりが強く印象に残っている」

佐々木さんとは昭和23年12月23日夜、巣鴨刑務所に張りこみ、東条英機元首相ら7人が処刑される模様を塀の外から取材したことがある。私が入社した時はすでに鯨岡さんは退社されていたが鯨岡さんの印象は佐々木さんと同じく”キリキリシャン“とした女性であった。後に知ったことだが、ご亭主が社内でも有名な名文家の古波蔵保好さん(社会部・論説委員)と聞いて変に納得したのを覚えている。

社会部の後輩でファッション記者であった市倉浩二郎君(故人)は鯨岡さんを先生と呼んだら叱られ「クジラ」と呼べと言われたという。三周忌の年(1990年)鯨岡さんが会長を務めた「ザ・ファッショングループ」主催で開かれた際、壇上に飾られた鯨岡さんの遺影を見て「男みたいな断髪で白いまっすぐな髪が立っている。首をかしげて笑いかけている口と目。正直言うと、若いころのクジラさんの写真は怖いくらいの迫力だが晩年のそれは滋味が溢れ優しい」と毎日新聞夕刊のコラム「憂楽帳」(1990年7月24日)に書く。

鯨岡阿美子さんは1983年(昭和58年)に創設された「毎日ファッション大賞」の選考委員長であった。第5回の選考を終えて現役のまま1988年2月22日に亡くなった。享年65歳であった。鯨岡さんの名前を残すため1990年に毎日ファッション大賞に「鯨岡阿美子賞」が設けられた。 昨年11月、毎日新聞「毎日ファッション大賞事務局」から鯨岡阿美子賞25周年記念出版として「今に生きる、鯨岡阿美子」が出版された。これを通読すると彼女に一生は「男に負けたくない」の一念を貫き通した生涯であった。彼女の表現を借りれば「オチンチン憎し」を貫き通したといえる。ご亭主の小波蔵さんも「女性の社会的地位を男の高さに、あわよくばもっと上へ引き上げようとする志が丸見え」と言い切っている。

(柳 路夫)