銀座一丁目新聞

茶説

関晴子さんのピアノ演奏‐「冬の夜ラ・カンパネラ身にしむる」

 牧念人 悠々

師走のひととき、関晴子さん「サロンコンサート」を聞く(12月11日・東京世田谷・サローネ・フォンタナ・ホール成城)。奇妙な感覚にとらわれた。演奏されたのはモーツアルトの「幻想曲」K397からリストの「パガニーニ大練習曲・第3番」まで18曲であった。この間、ソナタ、組曲、コラール、プレリュード、民謡などが関さんのピアノから次から次に紡ぎだされる。ある時は低くおだやかに、ある時は高く鋭く、きれいな音が流れる。個々の曲はそれぞれに独立しているのだが全体が一つのような曲に思えた。作曲家もオーストリア、日本、アメリカ、ドイツ、フィンランド、ポーランド、ロシアと多士済々。さらに、演奏項目の配列を長調・短調の調性に気を配ったせいであろう。あえて名づければ組曲「平和への祈り」というべきであろうか。

「平和への祈り流るる師走かな」

関さんの音楽はスタートから工夫されている。会場の気心知れたフアンのために美しく深い曲趣の「幻想曲」から入る。モーツアルト26歳の作品。この年の8月、父の反対を押し切ってコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚する。この曲には「ハ短調の「幻想曲」K396とともにモーツアルトの言いしれぬ懊悩が隠されているといわれる。次に600曲に及ぶソナタを作曲したイタリアのスカルラッティのソナタ、L33,L449,L23。これらの作品は235年前の1720年(享保5年)以降に移住したポルトガルで書かれたもの。イタリアの音楽一家の一族という。次に流れてきたピアノの音は和風。心地よく耳に入る。中田喜直のピアノのための組曲「光と影」より「箏を弾く少女」。さらに和風音が続く。寺内園生の組曲「斑鳩」より「斑鳩の里」。この地方にいるイカルガの鳴き声で始まる。この鳥は「キョコキー」と鳴く。「イカル」ともいう。大きさは23センチぐらい。斑鳩は聖徳太子の斑鳩の宮のあったところ。今の奈良県生駒町斑鳩町である。日本にはいたるところに仏像があるのどかな里の風景が広がる。この組曲の全曲を聞いてみたい欲望に駆られる。

アメリカの作曲家マクダウェルの曲が登場する。「森のスケッチ」作品51より(野バラに寄す)、(鬼火)、(昔、密かに会ったところ)の3曲。曲は牧歌的である。彼の生まれは1861年(文久1年)。この年、海軍の提督を父に持つウィリアム・ペンがチャールズ2世からペンシルペニアを父への負債の代わりに頂き、クエーカー教徒のための自由な天地を開拓するなど「西部開拓時代」であった。2年後、有名なゲティスバークの戦いあり、南北戦争が終わる。

「イ長調おだやかに沁む師走の夜」

シューベルトの「即興曲」OP.142-2変イ長調。シューベルトには即興曲は8曲ある。いずれも1827年(文政10年)ごろの作品。歌謡風にして情緒あふれる調べ。時に30歳。1年後にこの世を去る。後世の史家は「彼は一茎の野花のような生涯を送った」と記す。初めプログラムになかったこの曲を挿入された関さんの気持ちが何となくわかるような気がする。

「極月野花の如き調べなり」

バッハの「主よ人の望みの喜びよ」(カンタータからコラール・NO147)1716年(享保1年)の作品が1722年に改作された。バッハの芸術を代表する合唱曲の一つ。その旋律は魅力的で美しい。コラールはルター派の讃美歌の中心を占める。バッハが残したコラールは実に百数十曲にのぼる。

シベリウスの「樅の木」(樹の組曲・作品75より)、「カーネーション」(花の組曲・作品85より)と続くのはバッハ・コラール「ソ音」を受け継いだからだと説明にある。だが、継ぎ目なく流れて気がつかなかった。ショパンのエチュード「練習曲」第6番・作品25へ移る際にも音の連結がうまくいくよう配慮されていたという。「3度音程の練習曲」と言われる。調べは憂愁の森の中に迷い込んだ感じだ。次はプレリュード「前奏曲」第15番・作品28へ。「雨だれの曲」として有名。ショパンと浮名を流した女流作家ジョルジュ・サンドは「僧院の屋根の上に落ちる雨だれの音を思わせる」といった。ピアノは雨だれも表現する。人の心がそのまま表される怖い楽器である。

スクリャビンの「プレリュード」(2つの左手のための小品・作品9より)。嬰ハ短調。ショパンにも異名同音のプレリュードがある。作品28の10である。曲は暗い。スクリャピンは1872年(明治5年)1月モスクワで生まれる。父は法律家、母はピアニスト。モスクワの音楽院で早くも才能を発揮。目ざとい出版業者が作品の出版、演奏会などを引き受ける。1歳年下のラフマニノフ(ロシア・ノヴゴロド州生まれ)とはモスクワ音楽院では同学であった。

バルトーク「3つのチーク県の民謡」。誰もが郷愁を感じる。バルトークはハンガリー、ルーマニア、スロバキヤ等の民謡1万種を収集、1000曲を発表する。最後がリストの「鐘」(パガニーニ大練習曲・第3番)。原曲はバガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第2番」の第3楽章である。教会の鐘が基調。鐘が鳴り渡る。楽しい愉快な調べである。リストは“情の人”であった。ショパンをパリの楽壇に紹介した。リストがその作品を演奏することによって多くの人々にショパン名を知らしめた。ワグナーも紹介した。失敗を重ねるワグナーを励ましもした。ベルリオーズも援助を受けた一人であった。晩年は信仰に帰依、4つの僧位をえた。幾重にも重なって遠くに近くに鳴り響き渡る「ラ・カンパネラ」は平和を求める「小さな鐘」と受け取っても間違いとはいえないであろう。

「冬の夜ラ・カンパネラ身にしむる」