安全地帯(486)
信濃 太郎
海で遭難した人たちを助けるのは当たり前だ
日本・トルコ合作映画『海難1890』を見る(12月17日。府中)。観客はまばら。このような真面目で考えさせられる映画を見るお客は意外に少ない。映画は1890年(明治23年)9月16日に起きた海難事故と救出に当たった日本漁民を描いた「エルトゥールル号編」と1985年イラン・イラク戦争の際、テヘランに在住する215人の日本人を救出するため特別機を出したトルコを描く『テヘラン邦人救出編』に分れる。
1890年9月16日、今から115年も前の話。オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」が、折からの台風の中、帰路につく。和歌山県串本町沖で座礁、機関が爆発して大破。乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる海に投げ出される。大しけの中、爆発音を聞いた大島村樫野(現在の串本町)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たる。この村に貧しいものを診療費も取らず診る医師・田村(内野聖陽)と許嫁を失って傷心の助手ハル(忽那汐里)がいた。負傷した乗組員の治療看護の中心となって働く。この時、台風で出漁できず、食料の蓄えもわずかだったのに、村民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、ニワトリすら供出するなど、手厚い看護をした。ハルは海軍機関大尉ムスタファ(ケナン・エジェ)に心臓マッサージを施し助ける。花魁お雪(夏川結衣)も裸になって冷えている乗組員の体を温める。生き残ったムスタファは苦悩するが村人達が刀など漂着物をきれいに磨いて遺族に返えそうとする姿を見て日本人の真心を感じる。費用がかさむことで悩む村長(笹野高史)らに村人たちは「海で遭難し助けを求める人たちを救うのは祖父伝来の事だ」と言ってのける。村人たちの奮闘で69名を救出、母国へ生還した。この村人の「真心」現代人にありやなしや・・・
それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争勃発。サダム・フセイがイラン上空航空機に対して無差別攻撃宣言する。各国は在イランの自国民救出の為、救援機で次々とイランを脱出。日本政府は救援機を飛ばすことが危険と判断し救助要請に応えなかった。テヘランに残された日本人は215人。ここでトルコ大使館員ムラト(ケナン・エジエ)が地下防空壕で日本人学校の教師春海(忽那汐里)と運命的な出会いをする。春海は子供たちを救うために奔走する。日本大使野村(永島敏行)にトルコに救援機を頼むように進言する。大使の要請を受けてオザル首相(デニズ・オラル)は他の閣僚が「自国民の救出を優先しないと国民の反発を買う」と言う反対を押し切って救援機を飛ばすことを決める。メヘラバード国際空港にはまだ脱出を急ぐ500人近くのトルコ人が残っていた。それらの人々を説得したのがムラトであった。トルコの人たちが他国で救われた昔の事を持ちだし「困った人々を助けることのできるのはあなた方だ」と訴えた。トルコの人たちは日本人のために救援機への搭乗口の道をあけた。さっと開かれた道の先頭を行くのは待ちぼうけを食って泣きじゃくる日本人の少女とその手を引いたトルコの少年であった。 「困った人を助ける真心」は時を越え、国を超えて繫がってゆくことを象徴するシーンであった。
この時、海外にいる日本人救出のため日本航空・自衛隊機が救援に赴かなかったのはおかしなことだ。それが今度の安保法制の改正で出来るようになった。集団的自衛権容認・集団的安全保障反対の人たちはこの映画よく見るがいい。あくまでも反対を唱えるならこの映画見てから唱えよ。