追悼録(579)
西ドイツ元首相・ヘルムート・シュッミットさんを偲ぶ
西ドイツ首相であったヘルムート・シュッミットさんが亡くなった(11月10日・享年96歳)。シュッミット元首相は第二次大戦では中尉・砲兵中隊長として連合軍と戦い、1945年4月、連合軍の捕虜となった経歴を持つ。戦後、社会民主主義者として政治家の道に進む。首相の座にあった8年間(昭和49年から昭和57年まで)のシュッミットさんは多くのエピソードを残す。毎日新聞のボン特派員であった伊東光彦さんの著書「ドイツとの対話」(毎日新聞刊・昭和56年9月25日発売)を借用させていただく。
昭和52年9月ドイツ経営者連盟会長シュライヤーさんがテログループに誘拐され、本人とテログループの数多くの死で幕を閉じた事件があった。定例の懇談会の時、記者団から「ドイツのテロリズムはナチズムの裏返しの現象ではないか」と質問されて悲しげな表情を見せて言った。「みなさん、ドイツ人が他の国々の人たちとは異なった種類の民族であるかのように考えることだけはどうかやめていただきたい」。
当時「シュライヤー事件」はシュッミット首相の価値を決定的なものにしたと著者の伊藤さんはいう。誘拐されたシュライヤー経営者連盟会長とハイジャック機の乗客の運命が一握りのテロリストの脅迫にさらされたとき、首相は彼ら国民の生命が断たれることも覚悟し無法者たちへの挑戦の道を選んだ。「国家の安全」を全うするため、一人の人間の命を犠牲にする―それはシュッミット首相が「政治家」と「人間」の深い孤独のはざまで下した苦悩の果ての決断であった。
なおこの「シュライヤー事件」は毎日新聞が昭和52年10月11日から夕刊一面で始めた新企画「同時進行ドキュメント」(10回連載)の最初に取り上げられた。筆者はもちろん伊藤光彦特派員であった。最終回の最期のくだりで伊藤記者はつぎのように書いた。『犯人はシュライヤー氏の「死亡通知書」でこう言った。「シュッミット氏はシュライヤーの死を思惑買いした」と』。実に巧みな表現であった。当時「同時進行ドキメント」は名企画として話題を呼んだ。
この年の11月、シュッミット首相はポーランドを訪問してアウシュッビツの強制収容所跡に立った。次のように発言する。
「この場所は我々に沈黙を命じる。だが、ドイツ人の首相としてこの場所で沈黙することは許されない」・・・「この地に立つとき、何人も知るでありましょう。政治は権力と利害のゲームであってはならない。政治は、道徳的な基礎と、道義への志向を必要とする」
このような発言する日本の政治家が何人いるであろうか。
シュッミット首相の発言はウイットに富む。1974年秋、英国の労働党が反大陸主義の左派に牛耳られ、欧州共同体(EC)脱退を決議した翌日、英国労働党大会にドイツ友党の代表として英国に乗り込む。来賓挨拶でシュッミット首相は言う。「同志諸君、私はこの期に及んで、救世軍の紳士淑女に向かい飲酒の効用を説く、愚かな男の役回りを演じたい誘惑に勝てないのであります」。このウイットは英国のEC脱退機運を逆転させたという。伊藤さんは解説する。「大陸から来た小憎いヤツ、と手ぐすねひいていた左派の猛者たちまでゲラゲラ笑い出してしまったからである」。
今やドイツはEUの盟主である。ドイツの意向なくしてEUは動かない。シュッミット元首相の衣鉢を継げればドイツ首相の発言と動向は今後大いに注目される。
(柳 路夫)