銀座一丁目新聞

追悼録(577)

友人加藤四郎君を偲ぶ

友人加藤四郎君が亡くなった(9月18日・享年89歳)。大連2中の同級生であり陸軍士官学校の同期生である。予科時代は偶然同じ中隊であった。戦後関西地区の中学校時代の同窓生会の世話役を務め、関東地区の世話役であった私とは長く交流があった。物静かな端正な男であった。彼のおかげで私の交友関係が厚みあるものになった。

加藤君は戦後、医者の道に進む。初めは先生になるつもりで師範学校を受験、合格したものの職業軍人であったというので合格を取り消されてしまう。何が幸いするかわからない。今度は大阪大学医学部を受験、合格する。卒業後アメリカに留学、大阪大学の教授、同大学微生物研究所所長となる。その後日本ウイルス学会の会長、理事長を歴任。この間、高松宮妃癌研究基金学術賞を受賞する。専門はウイルス学と癌学。その道では著名な先生である。とりわけジェンナーの史実に詳しく、なぜ、誤って「ジェンナーはまず我が子に牛痘を試みた」と言う史実が伝えられたかという経緯を明らかにした。われわれも戦前,修身でそう習った。加藤君の話によれば、欧米のジェンナー伝記の中の多くが「ジェンナーは牛痘種痘の実験を行う以前にわが子に豚の天然痘に相当する豚痘の材料を接種して天然痘を予防した」と記載されているのに驚いたそうである。ウイルス学的には豚痘ウイルスでは人の天然痘ウイルスと免疫学的な交差性が低く予防効果は全くできないことが分かっていたからである。そこでさらに調べて見た。すると意外なことが分かった。ジェンナーが我が子に接種したものは豚痘ではなく人の天然痘ウイルスの弱毒型(学名小痘瘡ウイルス)であることが判明した。この内容を医学史関連の雑誌やウイルス学関連の雑誌などに発表して話題を呼び、高い評価を得たという。

「何事であれ予防は治療に優る」がジェンナーの思想である。加藤君は平成9年3月「ジェンナーの贈り物」(菜根出版)の本を出版した。売れ行きは順調のようであったが数年後に出版社が店を閉じたので加藤君から「なんとしてもジェンナーの思想を伝えたい。再販したいので出版社を探してくれ」との手紙をいただいた。動いたが当時はうまくいかなかった。この出版だけが心残りである。
何とかしたい。心からご冥福を祈る。

(柳 路夫)