銀座一丁目新聞

安全地帯(481)

信濃 太郎

毎日新聞「編集綱領」への思い

毎日新聞が昭和40年代末から50年代の初めにかけて赤字解消のため経営の新旧分離を考え、昭和52年11月、毎日新聞新社と旧社が発足した。この時、新聞社の労働組合として組合員の権利擁護のために再建闘争を戦った組合幹部たちがこのほど「毎日新聞再建闘争から40年―夢を追いかけた男たち」と言う一書を出版した(「夢を追いかけた男たち刊行実行委員会」刊・2015年9月15日発行)。当時、私は編集局長として「編集綱領」作りに参加した。求められて一文を書いた。それを紹介する。

友人平野勇夫君(2010年5月5日死去、享年85歳・再建時編集主幹・後旧社取締役)の偲ぶ会が開かれた時(2010年=平成22年=7月5日・日本プレスセンター)同席した大住広人君(元毎日新聞労働組合委員長)に「平野君とT君で作った編集綱領は傑作だよ」といった。「編集綱領」が出来たことによって新旧分離する会社経営に一本筋が通ったのは確かである。経営の新旧分離といえば、赤字を出さないために販売・広告・事業など稼ぐ部門に力を入れるべきと思いがちだが新聞にとって「紙面は命」。再建に当たり編集部門に新しいあふれ出る命がほしい。それが「編集綱領」であった。平野編集主幹のもと、編集局長として草案作りに参加した。当時、自分なりに考えたつたないたたき台の素案が手元にいまだに残っている(毎日新聞の便箋5枚)。この素案を基に経営企画室の意見(1977年4月15日の日付)も聞き会社側の原案が出来、組合委員たちと議論を重ねて編集綱領案ができた(日付は1977年7月18日)。

私が出した「編集権に関する編集綱領素案」の中で注目すべきものは「毎日新聞間編集局内新聞記者、整理記者。写真記者(出版局編集部員を含む)は自己の信念に反することを行ったり、書いたり、責任を負ったりすることを強制されてはならない。これを拒否したりしたことにより何らの不利益をこうむってはならない」であった。

フランス、西ドイツでは第二次大戦後、編集権は経営者のものか、編集担当者のものかでもめていた。事例の中には編集担当者が経営者より編集に力を持っていた。その中で日本の新聞で必要なのは「記者の良心」の事項と思った。経営企画室の意見では「不要とするもの、ユニークだから残せとするものがある」とあった。ともかく、綱領を生かすのも殺すのも記者である。編集権がどこにあるにせよデスクが新聞を作る。信念を持ち、センスを磨き、勉強せねばいい紙面は出来ない。企業にとって不名誉な記事が出ると広告局を通じて記事を没にしてくれと要求してくる。私の体験では社会面トップに商品の欠陥記事を扱って1000万円の広告をフイにしたことがある。別に悪い事をしたとは思っていない。結果的にはその企業がその欠陥部分を改善して売り出して利益を上げたと聞いた。新社移行後、特ダネの銀行員の不祥事の記事を社長が編集局長に指示して一時、記事掲載をやめさせたことがあったが、局長がそのまま掲載すればよかっただけの話である。編集綱領には「良心事項」がある。要は編集者の信念と度胸である。編集綱領の文章がこなれたものになったのは組合側委員であった藤田修二君の原案が優れていたからである。簡潔に報道の自由と国民の知る権利に脈絡をつけ、編集の独立を謳ったものであった。毎日新聞にはこのような逸材がいつの時代でもいる。

逸材と言えばこんな話を思い出した。メキシコオリンッピク大会(1986年10月)の際、インタービューしたメキシコ大学の日本人植物学者松田英二さんが私に教えた言葉がある。

「読むべきは聖書なり。その国に10人の義人がおればその国は滅びない」(旧約聖書「創世記」第18章32)その時、企業であれば2,3人の義人がおればその企業は倒産しないと思った。その義人の一人が自分だとひそかに自負したことがあった。さらに言えば、藤田試案では「開かれた新聞を目指す」と明記してあった点である。昔から新聞は無冠の帝王と言われ独善的であった。道学者的に振る舞い、正義面して人を裁く紙面づくりをする癖がある。実は読者の目は厳しく、その批判は聞くべきものが少なくない。紙面づくりは編集者、記者がやるにしてもその声を十分生かす方策が必要だ。「開かれた新聞」作りは将に時代の要請でもあった。当時毎日グループ以外の外部資本が入るというので編集綱領の立案が要請された一面もあるが調べてみると当時外部資本が入っている新聞社が18社あった。また定款で株主総会の編集権の干渉を禁じている新聞社が26社もあった。

いずれにしても「編集綱領」は全社員の自覚と努力によって確保される。「兵どもの夢」にしてはなるまい。時代はいつも激動する。社会も激しく変動する。そのためにはもっと公共の関心事については国民が判断するに十分な素材を提供する努力を怠ってはならない。これは当たり前のことだ。これで始めて国民は判断でき、共感し、新聞にものを言えるようになる。「開かれた新聞」とは読者がものを言いやすい体質の新聞を言う。いつまでも「記者の目」を続けている時ではない。「読者の目」がほしい。昨今,ITに押されているが活字文化こそ本当の思想を生み出す源泉があるというならば新聞の役割は大きく、その未来はかならずしも暗くはない。