銀座一丁目新聞

花ある風景(576)

並木 徹

友人たちとの集い「五輪の会」

友人たちの集い「五輪の会」が開かれた(10月28日・大船・中華料理店「千馬」)。出席者22名。予定は29名であったが転倒したとか腰を痛めたというので欠席者が7名も出た。90歳にもなると不都合なことが起きがちである。幹事は心得たもので「転倒予防のいろは」と言う冊子を封筒の中に入れてくれた。この会は「人と会えばアイデアが浮かぶ」と言うモットーのもと2020年の東京五輪までは何とか頑張ろうという趣旨のもとに生まれた。いつもは各自近況を述べるのだがこの日は数人の人が話をする。はじめに北俊男君がハーモニカを演奏。起床ラッパから「歩兵の歌」「海ゆかば」などを弾き、会の雰囲気を和やかにする。北君は画も俳句も嗜み、記憶抜群、軍歌「戦友」は14番まで諳んじている。荒木盛雄君は平成17年中国旅行の際、作った俳句11句を紹介する。そのうちの2句「蜀の国の栄枯盛衰秋深し」「秋天や蜀犬吠ゆる天府の地」。帰国の飛行機の中で読売歌壇に掲載された「憎しみは憎しみを生み報復は 輪廻のごとし戦いやまず」読み上げれば、旅に同行した霜田昭治君(この日の幹事役)が「喜びは悦びを生み果報は 輪廻のごとし命は尽きじ」と返歌したというエピソードを明かす。荒木君がこのほど有馬朗人が主宰する俳誌『天為』の同人に選ばれている。河部康男君は元夕張市立診療所所長・森田洋之医師の著『破綻から奇跡へ―今夕張市民から学ぶこと」を紹介する。夕張市の財政が破綻し診療所、介護施設が大幅に減少しながら1,24時間体制の医療と介護の整備に力を入れた。2、長年培った人と人とのつながりを大事にした。3、医療者に任せるのではなく自分たちが進んで肺炎ワクチンやインフルエンザワクチンの接種に務め,疾病予防に積極的に励んだ等の結果、総死亡数・総死亡率は横ばいで変わらず。救急搬送は半減、医療費は半減,介護費は増加したが合計では減少した。「日本の超高齢化社会を乗り越えるためには夕張モデルが希望の光になる」と森田医師が言っているそうだ。このようなところまで目が届くとは河部君は勉強家である。67年間手拭い・浴衣の染色一筋に生きた笹路能也君から話を聞く。「浴衣・手拭の歴史」の資料と浮世絵をあしらった手拭いをいただく。手拭いは広重の名所江戸百景の一つ「大はしあたけの夕立」。ゴッホも模写したというものである。牧内節男君は「芸能・スポーツの出来事は政治現象を先取りする」と言う評論家大宅壮一の言葉を引用しながら「安倍晋三政権の前途」について語った。

恒例の古屋康雄君のハーモニカ演奏に移る、初めに「ホロンバイル小唄」と「ハンダガヤ小唄」を弾く。「ハンダガヤ小唄」は初めて聞く。哀調おびた曲である。作詞は歩兵27連隊。一番の歌詞は「西はノモンハン砂丘は続く  続く砂丘に木はあれど  赤いはまなす故郷(さと)しのばせて  ここは淋しいハンダガヤ」。歩兵27連隊は旭川で編成された部隊で、昭和14年5月12日起きたノモンハン事件に参加,その第1大隊はソ連軍戦車軍と苦戦したと伝えられている。「陸軍士官学校校歌」、「血潮と交えし」など軍歌7曲をハーモニカとともに歌う。店の人の話では他のお客が楽しんでハーモニカと軍歌を聞いていたという。五輪の会はいつも何とも言えず楽しい。この日は千葉市、羽村市からも駆け付けた友もいた。その魅力は固いきずなで結ばれた友達が生み出す、地味ながらも知的な雰囲気にあるように思う。