銀座一丁目新聞

追悼録(575)

「辻まこと画帳から」により辻まことを偲ぶ

手元に「辻まこと画帳から」(白日社刊・昭和58年2月22日発行)がある。知人から借りたものである。その本の中にある1枚の絵にひかれる。山頂付近でリュックをわきに置き腰を下した休む男の表情が何とも言えない。くたびれ果てているのか、人生を達観しているのか、作者の心をそのまま表現しているように思える。時折、眺める。昨今の自分の姿と二重写しとなる。それでなかなか返せないでいる。そろそろと思いながら一年以上になってしまった。
辻 まことは(1913年9月20日 ~1975年12月19日・享年62歳)、詩人であり画家である。山岳、スキーなどをテーマとした画文や文明批評的なイラストで知られる。両親は辻潤と伊藤野枝である。辻は翻訳家・思想家である。大正時代のダダイズム運動の中心人物であった。辻まことは15歳の時、父親と1年間バリで暮らしているが、その時、父親の肩書は読売新聞社の文芸特置員であった。母の伊藤野枝は夫人運動家で関東大震災の際、無政府主義者の大杉栄とともに虐殺されている。
本の中には29点の「漫画」がある。それに一枚ごとに季語のない俳句が添えられている。この俳句が実にうまい。人柄がそのままに出ている。シャイな人で高ぶらずへりくだらず凛とした人物と見た。

「高尚な 理屈をこねる カラ財布」
「エリートの 意識浮き出る グラス哉」
「だんだんに 本音出てくる 下司の酔」
「ビジンより ビンの探求こそ ビなり」
「適量の 決意くずれる モウ一杯」
「酔うほどに 眼のさめてくる ムスコあり」

登山好きの画家の辻は山に行く時,絵の道具を持っていかなかった。初めはスケッチを描いていたのだが、紙の上に写すのに非常に困難を感じて以来、持っていかなくなったようである。彼の書いたものから判断すると、「観察する際、初めにある澄明さを持たなければ、レンズは何も表徴を写さない」と言う理由のようである(小谷明さんの「後書き」より)。つまり俳句が「溢れる思い」がそのまま言葉ってなって出来るように、景色がそのまま映るような心の澄明さがなければ絵を描けないのであろう。その意味では彼は絵を描くとき己をさらけ出していたのであろうと推察する。だから彼の絵は見る人の共感を呼ぶのであろう。彼が亡くなって40年。いまだに彼を思う人がいるのは画家冥利に尽きる。

(柳 路夫)