銀座一丁目新聞

茶説

安全保障法案は日本の独立を守るために必要だ

 牧念人 悠々

一連の安全保障法案が9月中旬参議院を通過成立する。多くの新聞はこの法案が危険だと一貫して報道してきた。この誤解は戦力不保持を決めた憲法9条にある。デモ隊も「憲法9条を守れ」と叫ぶ。誤解も甚だしい。戦後70年日本が平和を享受できたのは憲法9条のおかげではない。警察予備隊、保安隊、自衛隊となった日本の軍備、空白をつくらなかった軍事的備え。アジアでは最も多い駐留米軍、日米同盟によって朝鮮動乱、中越戦争、ベトナム戦争が起きたアジアの中で「国内に軍隊が存在することによって日本は70年間の平和を維持してきた」と言うのが事実である。元陸上自衛隊幕僚長富沢暉はその著書「逆説の軍事論」(バジリコ株式会社発行・1015年6月20日刊)で「憲法九条により軍隊を保有しなかったために日本は平和を享受できた」と言う説はフイクションだと柔らかく表現する。

現在の国際情勢の下で一国では国を守れない。核を保有しない日本であってみればなおのことである。その同盟国が敵に襲われても助けにもゆけず手出しも出来ないというのはおかしい。国の固有権利としての自衛権を認める日本国憲法がそのいびつさを法律で認めるのを拒む理由がない。それで政府は「新3要件」を作り、直接日本への武力攻撃が発生していない場合でも武力行使をできるようにした。戦場の状況は千差万別である。しばしば想定外の事態が起きる。状況に応じて対処するほかない。具体的例を上げて説明するとおかしくなる。抽象的な説明の方が分かりやすい。

よく中東・ホルムズ海峡での機雷掃海が問題となる。日本に輸入される原油の8割がホルムズ海峡を通過するとすれば、海峡での機雷掃海を日本が一部でも任務を果たすのは当たり前である。そのための法整備である。それを憲法が禁じているわけではあるまい。日本に150日分の石油の備蓄があるとか他国任せにしろと言うのは道理に合わない。

実は海上自衛隊の機雷除去の技術は世界一である。それを実証したのが湾岸戦争の終わった1991年6月から7月にかけて行ったベルシャ湾の機雷掃海である。日本が諸外国のために「汗を流して具体例」である。日本は最後の9番目の国として遅れて作業に参加したのだが除去するのに難しい場所にあった機雷を34個も爆破した。しかも滞在188日間、他国海軍が港、港で不祥事を起こすのに無事故であった。各国海軍の指揮官たちが「日本ではどのような教育をしているのか教えてくれ」と言ってきたというエピソードまである。

24年も前のことである。実はこの時、日本は世界の笑いものになった。この事実を忘れてはなるまい。中東からの石油をたくさん輸入している日本が何もしなかった。お金を130億ドル出しただけであった。国民一人当たり約1万円で済ませた。無法な侵略に対して国連加盟国の多くが共同で戦っているのに、血を流さず、お金を出すだけの日本に世界は不信感と失望感を抱いた。集団的安全保障と言うのは「世界の平和維持のため」の戦いに参加するということである。だから「いやであったら」参加しなくても良い。それで良いわけがない。恥を知る日本人の取るべき態度ではない。国連の一員としても世界から孤立しないためにもどうしても集団的安全保障法制が必要なのである。

次に今回の法案に関連して「独立」について触れる。国を守るというのは国の独立を保つということである。敵に国土を奪われて平和に暮らしてゆけてもそこには人間としての自由はない。単なる奴隷に過ぎない。平和を叫ぶのはいいが、国の独立を忘れは駄目だ。そのために軍備の充実、集団的自衛権の容認、集団的安全保障法制が必要な理由である。憲法解釈は日本に警察予備隊が発足した時点から拡大解釈してきた。すべて劇的な国際情勢の変化による。かたくなに憲法の趣旨を守るか、柔軟に解釈するか、国の平和と独立の観点から解釈するほかないであろう。

軍隊と同じ装備を持つ警察予備隊の創設を指示した(1950年7月8日)マッカサー元帥は再軍備を禁じた日本国憲法を制定した本人である。皮肉と言うほかない。もともと第九条は文面通りに解釈されるべきものではなくいかなる場合でも国家の自衛権は固有の権利として保有される。その国に自衛権がある以上自衛権が独り歩きしてこれまでいろいろと憲法が解釈されてきたのは必然と言える。

自衛隊法第3条には「自衛隊は我が国の平和と独立を守り国の安全を保つため直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし必要に応じ公共の秩序維持にあたるものとする」とある。

安保法制が整備されることによって自衛隊の活躍する舞台は世界に広がった。同時に責任も重くなった。またやりがいも出てきた。常に訓練を絶やさず任務に邁進してほしい。戦争は戦わずして勝つが最上の方策である。百練百磨の自衛隊の存在が戦争の抑止力になる。それが「普通の国の軍隊」である。そうなるには国民の支持がいる。まだ道半ばであるというほかない。