銀座一丁目新聞

花ある風景(570)

並木 徹

和やかな友人の「卒寿の会」

友人の荒木盛雄君の「卒寿の会」に出席した(8月23日)。場所は新宿のホテル。出席者78名。丁度半分が女性であった。荒木君が女性に人気があるとは知らなかった。司会は長女の一色美佐子さん。事前の調査も行き届いた名司会ぶりであった。御主人の医学博士で元帝京大学教授一色高明さんもビデオ上映のお手伝いをするなど娘さんお孫さん総出のアットホームな会であった。出席者も松花古流家元の荒木夫人ミズホさんの生け花会の人たち、荒木君が週に2回医者として通う桶川の老人養護施設の理事長をはじめ職員の方たち、荒木君が所属している3つの句会の会員たち、それに陸士59期生の同期生らであった。

先ず同期生の伊従正敏君が挨拶する。荒木君とは仙台幼年学校も同じ訓育班であり戦後も学部こそ違っても同じ東北大学に同じ下宿から通った仲。59年前の荒木君の結婚式の際司会を務めたという。どんな忙しくても同期生の頼みを引き受けたエピソードを織り交ぜて荒木君との75年にわたるつきあいを語った。

けやき句会の代表が会員25人のお祝いの句を披露。いずれも良い句ばかりである。そのうちの二句を紹介する。

『雲の峯卒寿の気力ふつふつと』高野清風
『気負いなき卒寿慶する処暑の宴』吉沢ふう子

上映された養護施設の職場でのビデオには荒木君が職員とクロスワードに取り組む微笑ましいシーンが出てくる。会場から笑いが起きる。これは彼の趣味の一つで熱心に続けている。これがなかなか難しくて解けない。頭の体操にはなる。

お孫さんの荒木君評は向学心旺盛である事、人懐こい事だそうだ。彼とは何度も美術展に一緒し、船による東京の橋巡りも3回ほどした。その都度、彼は克明にメモをし、感想の俳句をいただいた。

宴半ば過ぎ、同期生たちが中央の演壇に集まり西村博君の指揮で「陸軍士官学校校歌」と軍歌「山紫に水清き」を合唱する。今年は戦後70年。70年前の8月23日は座間の陸軍士官学校と別れを告げた日である。この日、59期の地上兵科(荒木君は船舶)は午前中、長野県望月の長期演習地への出発準備、12時半、校庭に集合、雄叫神社に最後の参拝をして校歌を歌いながら校門を出た。この時の校歌は敗戦の悲しみのうちに歌った。24時30分の上野発の列車で長野に向かい、長野・佐久の地で解散、復員する。それから幾年、荒木君は多くの親族・友人・知人に恵まれ、祝福された「卒寿の会」をここに開く。最後に壇上に立った夫妻は謡曲「鶴亀」の一節「上歌」を詠う。「池の汀乃鶴亀ハ蓬莱山も外ならず君乃恵みぞありがたき君の恵みぞありがたき」音吐朗々。夫婦の揃ったきれいな声が胸に響く…

「秋高し卒寿いよいよまめやかに」朝妻 力
『「鶴亀」の音吐朗々処暑の宴』 悠々