銀座一丁目新聞

茶説

映画「愛を積むひと」に感あり

 牧念人 悠々

朝原雄三監督の「愛を積むひと」を見る(6月25日・新宿ビカデリー)。人生の余白が少なくなった私には教えられるところが多かった。映画は石垣を積み上げてゆく労働。罪を犯した若者を許すシーン、ロケ地の美瑛町を望む十勝山連峰の美しさなど次々に展開してゆく・・・映画を見ながらふと、メキシコの植物学者松田英二さんの言葉を思い出した。「読むべきは聖書なり」「なすべきは労働なり」「究べきは自然なり」。人間は生きてゆくにはこの3つの言葉がいるのかもしれない。
小林良子(樋口可南子)篤史(佐藤浩市)夫婦は経営不振の町工場をたたんで北海道・美瑛町に移り住んで第2の人生を送る。不器用な篤史は良子と知りあって2ヶ月目に手を握り、それから2ヶ月後に十勝岳で、プロポーズをする。不器用であっても男は誠実に愛を積みかさねる。心臓病を患った妻が先に死ぬが物語は妻が書き残した手紙に従って繰り広げられる。
妻の願い通りに篤史は家の周りの石垣を完成する。人は定年退職すると目標を失う。家の中の掃除は行き届かず、次第にぐうだらな生活となる。老いても体を動かすことが大切。石垣の石は格好のよい石もあれば悪いものもある。支え合って石垣が出来る。人間社会を象徴する。問題ある若者が石垣作りを手伝う。若者は悪い仲間に誘われて小林家に空き巣に入りネックレスを盗む。このネックレスは妻良子の誕生日ごとにお金のない篤史が毎年一つづつ購入して仕上げたものである。その若者を妻は許して面倒を見るのを願う。旧約聖書詩編130編3節には「主よ、あなたがもしもろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、誰が立つことが出来ましょうか」とあり、4節には「しかしあなたには、許しがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」とある。神は人間の罪を許すことによって真実「主」なる神となる。朝、時々聖書をひも解く。
篤史は周りの人とも付き合いをする。若者の恋人の義父とは飲み友達となる。義父は酪農牧場を営む。若者は1年間、他の牧場の見習いをした後、恋人のところに帰ってくる。妻の遺影をリックサックに入れて十勝岳の登山に行くが天候の急変で遭難、怪我をする。こじれていた東京に住む一人娘には牧場主が連絡、ひそかかに我が娘を思う篤史の気持ちを知って娘とも和解する。父を病院に見舞う娘のうなじには良子の形見のネックレスがあった。
良子は手紙に書く。「古い土台の石がその上に積まれる新しい石を支えるように私たちが毎日を一所懸命に生きることが世の中を変え、次の世代の生きる支えになる」私も後に続くものを信じたい。