銀座一丁目新聞

 

安全地帯(469)

相模 太郎


小林秀雄著「本居宣長」に教えられる


今「古事記」(倉野憲司校注・岩波文庫)と「源氏物語」(与謝野晶子訳・上・日本文学全集1・河出書房)を読んでいる。もちろん、これまでも一応は目を通してはいるが精読は初めてだ。
実は2ヶ月ほど前から本棚に眠っていた小林秀雄著「本居宣長」(新潮社)607頁の大著を読み始め、6月中旬にやっと読み終えた。買ったのは昭和52年12月、忙しさにまぎれて37年ばかり本棚を飾っていた。読んでみると己の不勉強ぶりが次から次へと暴露された。恥ずかしい。本居宣長は「源氏物語」によって開眼し、激賞する。「やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、たぐふべきふみはあらじとぞおもゆる」と言うほどである。
『土佐日記』に現れた「もののあわれ」は「源氏物語」になって豊かな実を結ぶ。「もののあわれを知れ」と本居宣長はいう。本居は「源氏物語」が「人の心をくもりなき鏡にうつしてむかひたらむ」に見えた。作家の渡辺淳一さんも20代半ばで「源氏物語」に接し「脈々として流れる、王朝の優雅と繊細さとその底に潜む『もののあわれ』に気が付き目を開かれる思いがした」といっている(渡辺淳一著「源氏に愛された女たち」集英社文庫)。社会部記者は「広く浅く物を知れ」と教わった。私の手元には野口武彦著「源氏物語を江戸から読む」(講談社)、近藤富枝著「服装から見た源氏物語」(朝日文庫)谷崎潤一郎著・新訳「源氏物語」(中央公論社)がある。
「源氏物語」には「大和魂」の用例は一つしかない。しかも文学上「源氏物語」がこの言葉の初見だという。「乙女の巻」に源氏の言葉として出てくる。「猶,才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」。夕霧を元服させ大学に入学させる時の話で、学問と言う土台があってこそ大和魂を世間で強く働かすこともできるという意味である。
本居宣長は『万葉集』にも詳しく触れているが『古事記』について書く。本居は『古事記』を「これぞ大御国の学問の本なりける」と受け取り「文体」(かきざま)に注目する。神代の巻を荒唐無稽とは思わない。これはすべて、神と呼ばれた人々の「事跡」(ことのあと)であり「神々に事態(しわざ)」であるとみる。この世で物も事も成るのはみな「産巣日神」の恵みであるという。さらに「天地の初発(はじめ)の時」人間はもうただ生きるだけでは足らぬことを知っていたという啓示を本居が受ける。宣長が「妙なるかも」と感嘆した時に見ていたものは間違いなく上古の人たちが抱いていた、揺るがぬ生死観であったと著者の小林秀雄はいう。後学のために原文を紹介する。火の神を生んだため亡くなった伊邪那美神に向かって「伊邪那岐命詔之(いざなみのみことのりたまはく)愛我那邇妹命乎(うつくしきあがなにものみことや)謂易子一木乎(このひとつけにかへつるかもとのりたまひて)乃匍匐御枕方(みまくらにはらばひ)匍匐御足方而哭時(みあとべにはらばいひてなきたまふときに)於御涙所成神(みなみだになりせるかみは)坐香山之畝尾木本(かぐやまのうねをのこのもとにます)名泣澤女命(みなはなきさわめのかみ)伊邪那岐命の涙から生まれた泣澤女神は香山の「神社」に祀られた。万葉の歌人が歌を詠んでいる。「哭澤の 神社に神酒すゑ 祷祈ども わが王は 高日知らしぬ」(巻2-202)。
おそらく「古事記」を読んでも私はここまで深く読み取れないであろう。さらに時間をかけて『本居宣長』を再読しなければなるまい。読んでいる「源氏物語」は与謝野晶子が昭和14年に明治45年の現代訳を改作したものである。初版本には森鴎外が序を寄せ「与謝野晶子さんほど適任者はいない」と言っている。それにしても読まねばならない本がまだまだたくさんある。残りの時間が少ない。「少年老い易く学成り難し」。