銀座一丁目新聞

 

花ある風景(563)

 

並木徹

 

会うということは楽しい事だ

湘南地区の友人たちとの集いである湘南59会に出席した(6月15日・大船駅前、中華料理店「千馬」)。参加者20名(他地区からの参加者9名)。定刻正午に全員が顔を見せる。清水廉君は羽村市から4時間かけて来た。いただいた資料が貴重であった。「健康寿命 切り抜き帳」(霜田昭治君記)には「75歳以上の高齢者は衰弱と転倒・骨折が34%で脳血管症が21%」とある。つまり転ばないことだ。ぼけないためには①趣味は二つ以上②とにかく外出する③夫婦の会話④社会とかかわわる人とかかわる⑤似た境遇の人とつきあうなどの5つの工夫が必要だという。心がけよう。医者の河部康男君資料は医学に利用されているロボットに関するものであった。
各自の近況報告。老々介護の話、潮来の川下りを楽しんだ者あり、出身中学に100万円を寄付、自分の名を冠した図書室が出来たという者もあって興味深く聞いた。私はその朝書いたブログの話をする。安倍晋三首相が橋下徹大阪市長と14日夜都内で会談した。新聞は『大阪都構想の住民投票結果』を報告かと伝えるが…雑談に終始したと思う。雑談すればよいアイデアが浮かぶ。何がしのヒントも得られる。私が橋下市長なら『あさみどり すみわたりたる おおぞらの ひろきをおのが こころともがな』(明治天皇の御製)を忠告の言葉とする。この国会は広い心で臨んだ方がよいと思うからだ。誰から「橋下市長は政治家を辞めると思うか」と質問された。私は「これまで政治家で“辞める、辞める”といいながら辞めた政治家は一人もいないから辞めないでしょう」と答えた。「これは田中角栄の言葉だ」とも伝えた。
ついで余興に移る。則武忠雄君が浪曲「森の石松」を演じる。実は私が雑誌「偕行」に書いた「五輪の会」の記事に.則武君の謡「高砂」を演じたのを聞いて予科時代、彼が浪曲をうなって区助に怒られたのを思い出したと書いたので一曲唸ることになった。中学校1年生の時レコードを聴いて覚えたという。彼は戦後、東大在学中は野球部の名キャッチャーであった。それにしても記憶力抜群だ。ついで荒木盛雄君の謡「草子洗小町」。「霞立てば遠山になる…」音吐朗々。声の若々しいこと、年季が入っている。感心のほかない。お馴染みの古屋康雄君のハーモニカ演奏。「校歌」「戦友」など7曲を彼のハーモニカ演奏で合唱、梅雨の晴れ間、楽しいひと時を過ごした。終わって胆石で緊急入院した世話役の安田新一君を霜田君とともに見舞った。安田君は元気でいい顔をしていた。