銀座一丁目新聞

 

安全地帯(467)

相模 太郎


あじさいの花に思う


今年はあじさいが格別に美しく見える。昨年は紅葉に気が奪われた。人間の嗜好は1、動物 2、植物 3、鉱物へ変化するといわれている。とすればやがて鉱物へ変わるのだろうか。
『庭のアジサイが花をつけた。角のアジサイには30本の淡紅色の花を、もう一本は20ほどの藍色の花をつけて咲いている。

「あじさいやわれ花の数数えゐる」悠々

アジサイは日本固有の花である。むかしは「アヅサ」といった。「アヅ」はあつまること「サ」は藍色のことである。集まった藍色の花をいう意味である。 芭蕉が「奥の細道」で平泉を訪れたのは元禄2年(1689年)陰暦5月13日。ちょうど梅雨に入ったころである。 「夏草や兵どもが夢のあと」 326年後の今日、集団的自衛権・安全保障問題で揺れる』(6月1日「銀座展望台」より)
あじさいは山野に自生する「がくあじさい」から変化したもの。紫陽花は中国産の別種ものであるそうだ。とすれば「あじさい」「アジサイ」と書くのが正しいようである。
万葉時代からこの花があり、梅雨時にあわい紫・碧色の大きな花をつけている様は美しい。万葉集にはあじさいを詠んだ歌が2首あるという。
「あじさいの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ」(巻4448)右の一首は左の大臣の味狭藍の花に寄せて詠める。(あじさいが次々に色どりを変えて真新しく咲くように万代の後までもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいを見る度にあなたをおしのびいたします=「国分寺市の万葉植物」より)
さて、この世はアジサイの花の如く七変化して面白い。与党推薦の憲法学者が賛成論を言うのかと思ったら「集団的自衛権の行使容認は憲法違反」という。自民党は目を白黒して大騒ぎである。沖縄の翁知事無駄と知りつつ訪米、要路に辺野古への移設反対を説く。知事として一所懸命なのであろう。この世は矛盾だらけ。理屈で割り切れるものではない。流されるのが良いのか、異を唱えるのが良いのか・・・アジサイが教えてくれる。

「アジサイの七変化こそ味があれ」悠々