銀座一丁目新聞

 

山と私

(108) 国分 リン

― 南米パタゴニア・アルゼンチン編 ―

 パタゴニアの地名はマゼラン海峡にその名を残すマゼランが、1520年にこの辺りを旅した際に見た先住民に由来する。パタゴニア地方は大西洋に流れ込むコロラド川を境に、ほぼ南緯10度以南の地域をいう。緯度でいうと日本の東北地方から北海道、さらにサハリンの先までということになる。面積は110万km2、日本の約3倍と書物に書かれていた。南北に連なるアンデス山脈を境に、チリ側とアルゼンチン側に別れ、地勢に違いがあるものの、共通していえるのは、ここが“風の大地”だということ。
でも、私たちにとってラッキーなことは、強風に遭わず最高の天候に恵まれたことだ。

 6月6日19時30分NHK BSプレミアム グレートネイチャー「潜入!南米パタゴニア風が育む氷河大激流!神秘緑の氷に大接近」を夢中で観て、改めて「山と私」に記録を残さなくてはと思った。

チリのプエルト・ナタレスからアルゼンチンのパタゴニア地方は1月20日から30日、27日はチリだったので10日間の思い出深いことを列挙しよう。
チリのプエルト・ナタレスから長距離バスで途中チリの出国管理局を経てアルゼンチン入国管理局へは2時間半、延々と同じような原野の中をバスは走り、ロス・グラシアレス(氷河・スペイン語)国立公園の拠点となるエル・カラファテへ到着。ホテル・コステン・アイケ(風の土地・パタゴニア先住民の言葉)明るくて素敵なホテルに3泊。
 ペリト・モレノ氷河観光は、バスが各ホテルからピックアップして、お昼に展望台に到着、板張りの遊歩道を下りると、展望台バルコニがあり、眼前に巨大な氷河が観え、思わず歓声を挙げた。ツアー客も大勢で世界自然遺産に登録されている。左のスロープを下りた展望台辺りまで行くと、視線が氷河の高さ近くに来た。ドーンと地響きがした。崩落の音だ。また右のスロープを行く遊歩道は、氷河を一番近くから見ることができ、大迫力だ。アルヘンティーノ湖へ流れ込み、「生きている氷河」と呼ばれ、透明度が高いためあくまでも神秘的なブルーが素晴らしい。この展望施設はエレベーターまで設置されていた。バスに戻り、今度は遊覧船に乗り、氷河近くまで行った。蒼氷と氷河湖特有の色と、空の青さは目に焼き付いた。この青空に映えた氷河を観ることが出来たのは最高にラッキーな瞬間だった。  リオス・デ・イエロス氷河観光は駐車場に大型観光バスが数えきれないほど集まり、くねくねと行列を作って大型遊覧船に一時間かけて乗り込んだ。9時30分出航。11時、大小氷が船の傍に浮かび、その氷の色も厚さにより太陽光を反射したり、透視してブルーに輝いたり、多種多様だ。色も形も同じものはない。永遠にこの氷河は続く。一時間同じ場所に停泊し、船の舳先に大勢の乗客たちと一緒に国籍など誰も関知せず同じこの偉大な氷河を見ていた。この氷河が永久に続くことを揺れに任せ、願った。
TVでパタゴニアには80の氷河があり、調査が出来ているのは20数カ所だけと言う。



 フィッツロイ山域のゲート、エル・チャルテンはエル・カラファテから220km、3時間の小さな村。
バスから降りたら忽然と現れた鋭利な岩峰群がみえた。「フィッツロイ山」何度も写真や、夢にまで見た姿に歓声をあげた。ここを拠点にフィッツロイ山の展望を楽しむトレッキングを楽しむため、バスターミナルから歩いて15分新しいホテル・デスチノ・スルここに4泊した。
朝ホテルにバスがガイドと共に迎えに来て、オステリア・エル・ピラルからスタート。気持ちの良い南極ブナ林の中、きょろきょろと周囲を観ながら歩くが、足の長さの違いか、年齢の差か日本勢は今回もラストを歩く。でも焦らずマイペースは楽しい。とにかく真夏というのに爽やかだ。藤井ご夫妻はとても快調に歩いていた。テントが数張り貼ってあった。リオ・ブランコ・キャンプ場だ。そこから1時間で開けた場所にベンチと屋根が付いた小屋で休憩。ここから急登のガレ場を登ると氷河湖特有のブルーのロス・トレス湖とロス・トレス氷河を手前に配したフィッツロイ山の勇姿・言葉も無く見惚れてしまった。フィッツロイ山は煙の山といわれるほど、雲に隠れる山なのに、風も無く米粒ほどで登攀している人も見えた。藤井さん恒例の抹茶と羊羹で乾杯。ここから帰りたくない心境だった。



この景色を目に焼き付け下山開始。また連れ合いが足がおかしいと言い、ペースダウン。一緒のグループの人たちは90分も早く町の近くの登山口で解散、ガイドがまた私たちを心配してくれて戻ってきた。拘束時間内だからと話していた。またまた藤井ご夫妻に迷惑をかけたが、まだ陽が高い18時にホテルに戻った。この町3日目、藤井ご夫妻はトーレ湖を目指してトレッキングに出掛け、私たちは町の散策に出た。エル・チャルテンの町は小さいが、都市計画が素晴らしい。高台からは人専用の板張りのスロープもあった。
 いよいよこの旅の最終目的地ウシュアイアへ、エル・チャルテンから高速バスでエル・カラファテへ戻りカラファテの町に別れを告げ、アルゼンチン空港14時30分発のフライトで、16時30分到着。
ウシュアイアは南極圏までわずか1250km足らず、「世界最南端の都市」で、マゼランによって、ティエラ・デル・フェゴ=火の大地と名付けられ、アルゼンチン側フェゴ島の中心がウシュアイアだ。この旅の最後のトレッキングはティエラ・デル・フェゴ国立公園(1960年に指定された630km2 東京都の3/1)
アンデス山脈南の端にあたり、標高は1000〜1500mとそう高くはないが険しい山容に見えた。ガイドブックからホテルの窓からも見えるマルティアル山脈で、最高峰でも標高1450mとそう高くはないが、南緯55度のこの地ならでの小さな氷河があった。リフトで登れると書いてあったが、動いていず、をひたすらスキー場を登ると、すでに森林限界近くになり、まるで1500mとは思えない高山感覚だった。
モレーン(氷河の堆積物が作り出した地形)のなか、ルンルン気分で歩き、氷河に到着。雪の上で大はしゃぎをした。8時に出発した私たちが一番乗りだった。10時過ぎには、続々と登ってくる人々が眼下に見えた。その先にはウシュアイアの町とビーグル水道が見えた。最後まで好天に恵まれた旅であった。

パタゴニア紀行は藤井ご夫妻の綿密な計画に参加させて頂き、なんのトラブルも無く終了できたことは、深く深く感謝し、是非また御一緒に元気な旅を切に願う。