銀座一丁目新聞

 

花ある風景(560)

 

並木徹

 

卒寿の会 集いは楽しきものかな

毎日新聞社会部で私が社会部長の頃の部下10人が卒寿の会を開いてくれた(5月9日)。彼らの近況報告が面白かった。みんなそれなりに活動したり勉強したりしており感心させられた。S・H君は近く『新聞のある町』を出版する。全国26か所を廻りその町のコミュニティー新聞を調べた。地域がいかに身の回りのニュースを欲しがっているかがよくわかるという。女子大の教授を勤めたS・S君は今源氏物語を読んでいる。大変勉強になるという。私は小林秀雄の『本居宣長』の中で本居宣長が源氏物語を激賞している話をした(後日、彼にはその個所をコピーして送った)。マスコミ塾を20年間も開いているS・K君はこの間に400人の学生をマスコミに就職させた(朝日新聞に50人も入っている)。いずれも大活躍し,賞を受けた人も少なくないという。一時、国連の広報部門で仕事し後に大学教授となったN・K君はシェイクスピアを読んでいる。映画で勉強するのが一番手っ取り早いという。20年ほど前に府中のわが家をニューヨークから休暇で来たN君一家に3日ほど提供したことがあった。そのため二人の娘さんたちは私を「マッキー」と今なお呼んでいるという話をする。私はそんなことすっかり忘れてしまった。後で聞くとかみさんは「後始末が大変だったのよ」とよく覚えていた。
みんなの注目を集めたのが4年前に老老介護の末に奥さんを亡くしたS・T君。月3回、同じような境遇であった女性と通い婚をつづけている。別に不倫をしているわけでないから大いに楽しめばよい。彼は「敬神・努力」をやめて「浮気・楽天」をモットーとしていますといっていた。
I・M君は引っ越しは相見積を採るべきだと話をする。28万円をとるとこもあれば14万円でやるところもある。毎日書道会の事務局長を務めたT・K君は今、小さな字を書くのをやっているという。これまでにも何回も書道展に作品を出品している。力強い字を書く。昭和52年2月に講談社から出した『毎日新聞ロッキード取材全行動』が2万5千部出たまま絶版になっているのを何としても文庫本として出版したいと熱意を語る。これは疑獄取材の教科書でもある。このままにしておくのも惜しい気がする。そういえばテレビドラマも制作され放映が決まっていたのに寸前に中止となっている。
T・S君は堺屋太一責任編集、データでみる『安全な国 日本』―JAPAN、HOW SAFE?―(2015年版・アジア刑政財団)の編集を手伝っている。彼は昨年暮れ『伝説の鉄道記者たち』(交通新聞社新書)と言う名著を出したばかりである。
私は毎日新聞OBの同人雑誌『ゆうLUCKペン』(36集)に書いた毎日新聞の同期生との交流記事のコピーを配布した。同時入社の友人たちはみんな死んだが友人に恵まれた話を綴ったものである。今日の集まりをみれば私は部下にも恵まれている。痛いほど感じたのは、人間はいくつになっても「今人間として何ができるか」と問わなくてはならないことだ。「生涯ジャーナリスト」を目指す私は常にニュースに挑戦していかねばならない。卒寿の先には白寿もある…