銀座一丁目新聞

 

花ある風景(559)

 

並木徹

 

最後の「権現山碑前祭」

 佐久市権現山碑前祭もついに最後の時が来た。戦後70年の今年、潮時かもしれない。この日、佐久の風はさわやかであった。八重桜「カンザン」は紅色の花びらを残して我々を迎えてくれた(4月28日)。参加者11名。北海道からも同期生がきた。この地に南御牧村の村長であった依田英房翁(昭和43年死去)が陸士59期生の「遙拝跡」を建設されたのが昭和41年。すでに49年もたつ。
南御牧村の国民学校に昭和20年6月から陸軍士官学校59期の本科15中隊と16中隊の歩兵4区隊が寝起きした。彼ら歩兵の士官候補生たちが朝な夕なに皇居・故郷の両親へ遥拝した。この日15中隊の中川栄一君が石川県小松市から参加した。昨今の世話人は軽井沢に住む別所末一君で、地主の依田光男さんに連絡をつけてくれた。権現山の雑草がきれいに刈り取られていたのは依田さんの取り計らいであろう。
依田英房翁は59期生の殉皇の姿を世に伝えることによって日本再建の糧として青少年への訓えにしようとされた。私たちは依田翁のその志に感謝を捧げるために毎年ここにきつづけた。『遥拝所跡』を背景にして59期の旗を中心に日の丸の国旗とともに記念撮影をする。終わって「校歌」を合唱する。胸にジーンとくる。
碑には次のようにある。「八月十五日万世泰平ノ聖詔ヲ奉ジテ遂ニ皇軍悉クガ矛ヲ止ムルニ至ヤ当隊亦斯ノ山上ニ慟哭解体シテ遂ニ四散ニ及ビタリ爾来茲ニ二十年刻シテ其ノ芳ヲ後昆ニ流フ」。今、碑文は錆びて読みにくい。その拓本は神奈川県座間の自衛隊の駐屯地にある陸軍士官学校記念室に保管されている。
鳥取県から駆けつけた西尾隆雄君は初めての参加であった。「話に聞いていたが一度来てみたいと思っていた」という。手に事務局から送られたという「権現山の碑前祭」の記事が載った新聞のコピーを持っていた。私の顔を見て意外なことを言う。「都知事選挙に立候補した田母神さんの応援を頼むハガキを出したところ君がすぐに返事をしてくれた」との事。思い出した。縁は異なものである。船舶で同じ中隊で同じ区隊の野俣君が「彼は何事にも積極的な人だ」と紹介する。小池俊夫君は誰から聞いたのか「奥さんはどう」と老老介護の私の事を心配してくれる。昼食は佐久駅近くのそば屋。終わって有志で駅構内のレストランで雑談する。行きの新幹線で同じ車両に乗り合わせた霜田昭治君が読んでいたのは星亮一著「奥羽越列藩同盟」(中公新書)。私が手にしていたのが佐伯泰英の「新酔いどれ小藤次の願かけ」(文春文庫)。川井孝輔君も佐伯の「交代寄合伊那衆異聞」を持っていた。旅好きの川井君は「今日は磯辺温泉に泊まり明日妙義神社などを散策する」という。90歳にしてこの元気である。来年は一人でも権現山に来ようと思う。
「往く春に話はずめり碑前祭」悠々