安全地帯(462)
−信濃 太郎−
老老介護の日々 つらきか、たのしきか…
図らざりき。90歳になって老老介護する身になろうとは・・3月初めごろからかみさんが脊髄を痛めて『痛い、痛い』と悲鳴を上げ、日常の起居振る舞いに自由を欠くようになった。特に朝がいけない。自分では起きあげられない。夜中のトイレも自分では起きることができない。手だすけが必要だ。年齢は86歳。かみさん自身、体には十分気を遣ってきたのに、年には勝てないようだ。今のところ自分で病院には行けるし、風呂もなんとか自分だけで入れる。医者の話では「そのうち痛みはなくなるでしょう」という。現在は痛み止めの薬と坐薬を使用している。両肩も痛いと言うので貼り薬も貼っている。名医はいないものかとつくづく思う。老老介護には限界がある。こちらが参ってしまいそうである。老老介護していた二人の同期生が奥さんより先に亡くなった事例を知っている。時折、“かぁーと”来る時がある。手に負えなくなったときには非情だが介護施設に入れるほかない…
いささか疲れてきた。3月31日の銀座展望台に次のような記述がある。
『10日に次いで靖国神社に参拝する。サクラは満開。参拝客多し。
古今、桜を詠んだ詩歌は多い。『新古今集』巻二に山部赤人の歌として「ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日もくらしつ」とある。万葉集巻十1883には「ものしきの大宮人はいとまあれや梅をかざしてここに集へる」と桜が梅になっている。奈良時代の梅が平安時代にはさくらに席を譲ったわけである。現代人にとって桜はかかせないものになっている。
この日、私はとんだ間違いをした。
実は31日の同台経済懇話会の総会の日時を間違えたのだ。手帳には31日総会と書いてあるのだがなぜか30日と思い込んでしまった。手帳の確認を怠ったためである。せっかく市ヶ谷まで来たのだからと靖国神社へ足を運んだ次第。
「しづかなるいちにちなりし夕さくら」長谷川素逝
「靖国へボケ嘆きつつ桜哉」悠々』
尊敬する陸士の先輩の「敬神・努力・浮気・楽天」のモットーを我がモットーとして、ひたすら寝食を忘れ、家庭を顧みず働いてきた私である。家事一切かみさんに任せてきた。罪滅ぼしの意味もある。出来るだけのことはしようと覚悟を決めた。かみさんの指導でうどん、そばのゆで方、水での洗い方、こねぎの細かく切る包丁さばきを覚えた。カツの揚げ方までも‥
「男子厨房に入らず」などと偉そうなことを言っていたが家事も奥が深い。気になったので陳舜臣さんの『弥縫録』―中国名言集―(中公文庫)をみる。
「君子は庖厨に遠ざかる」とある。君子は台所から遠ざかっていなければならないという。『礼記』や『孟子』に出ている古い教訓だという。本来の意味は台所では鶏を絞めたり、豚を屠殺したりする。殺される時鶏や豚は悲しい声をあげる。君子たる者は、その声をきけば、その肉を食べるに忍びない。だから台所から遠ざかれというのだ。一つ利口になった。そういえば洗濯物を干す際にもコツや要領がいる。単に干せばいいと言うものではない。洗濯バサミの使い方、シャツ、下着等の干し方、綺麗に形よくしなければいけない。要は干し方にその人の人柄が現れる。家事は真にこわい。今頃になってわかるとは遅すぎる。だがこれも我が人生であると思う。
|