花ある風景(556)
湘南 次郎
旧き誼(よしみ)や温めん、難関90才の坂
文化勲章、人間国宝の桂米朝師匠が亡くなった。89才だった。先日は中国文学の陳舜臣氏90才、アサヒビールの中条高徳(陸軍士官学校の一期後輩)氏88才、桂小金治師匠が88才で亡くなっている。10年以上前から小生夫婦と毎週一緒にゴルフをやっていた、某電機会社の元重役、たたき上げの製粉会社の元社長だったお二人とも89才を最後に相次いで逝去された。遺言、身辺の整理もされ、立派な大往生の方々であった。本誌主幹の牧氏も同年輩であり、かく言う老生も89才と3か月になる。難関は90才の坂だ。203高地をおとすのは容易ではない。最近、ピノキオの木の人形と同じ、とみに各関節の潤滑油切れが始まった。朝起床すると節々が痛いのが今年になって急激にやってきた。内臓は異常ないのがまだ救いだが、「朝魔羅立通」(?フリガナしません)の若いころを考えると、覆水盆に返らず、不甲斐なくとても口惜しい。
先日本誌主幹の牧氏より故渡辺淳一先生の最後の著「仁術先生」集英社文庫をいただいた。いつも謹厳実直であり、銀座一丁目新聞では、格調高い高邁な文章、さすが敏腕なジャーナリストで鳴らした牧氏の記事を拝見するごとに、じつは素人の小生の下手な品のない文に恥いるばかり、内心恐ろしくもあった。だが、この本を拝見し、推奨する牧氏の一面を垣間見、安心した。書いてあることは軽妙で、市井(しせい)の患者と町医者の落語のオチのようなお話だ。内容は
①夫婦軽度の梅毒で屋号梅ずしを開業
②妻のヒステリーにはダンナの注射がいい
③不能と信じていた患者の治療方法は保険適用外
④新米医師が妊娠判らず不定愁訴と診断
⑤新米医者が炭鉱の落盤事故で腰が抜けた恐妻家の患者のため、共謀してわざと骨折と誤診してやる。 以上。
渡辺先生の洒脱な人柄が偲ばれ、肩の張らぬ面白い本であった。ちなみに先生の名著、「失楽園」の日経掲載第一回目に出て来る不倫のホテルは小生宅直近の鎌倉プリンスホテルがモデルだった。頂いたから言うのではないが、読後感、幾つになってもこのたぐいの本は面白いし、ありがたい。人間いつまでも、とし相当の色気や食い気、娑婆気はあった方がいい。
老生は、40年ほど前、湘南へ越してきたが、もともと先祖代々東京で、そこで半世紀も育ち住んでいたので多くの学友、特に同年輩の陸軍士官学校同期生とは親交があった。しかし、仲の良かった仲間たちもこの世の残留者は3分の1になった。そのうちでも元気な者は半分だ。かく言う老生も目から上、へそから下は大分いたんで来たが、牧氏のような元気な友は貴重だ。明日も知らずに、この分なら90の坂も越えられるかなと自賛しているのだが。
先日は牧氏におねだりして彼の敏腕記者当時の血と汗の結晶だったろう皮のケースに入った立派なモンブランの万年筆をいただいた。さすがプロの使ったもの、実に書きよい。おまけにインキまで付けてくれたのは彼の人柄が偲ばれ嬉しかった。彼は120才まで生きることになっている(このごろ少し弱気なのが心配だが)ので形見分けの前借りと思って、あり難く頂戴し、家宝にする所存だ。ひどい目にあって多少手は加わったが陸前高田の一本松の屹立でも見習らって、情報交換、言いたいことを言い、励まし、慰め、助け合いながら無理せず悠々と「一、一、転」(ピンピンコロリ)まで元気を出して生きて行こう。
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