銀座一丁目新聞

茶説

安倍晋三首相の戦後70年の談話に注文する

 牧念人 悠々

 安倍晋三首相は8月、戦後70年の談話を発表する。有識者懇談会でその原案が討議検討されつつある。中国・韓国と日本の間が円滑を欠いている現在、「安倍首相談話の影響する所は大きい。中国の李克強首相が全国人民代表大会後、日中関係について「一国の指導者は先人が築き上げた成果を継承するだけでなく先人の犯罪行為がもたらした歴史の責任も負うべきだ」と述べた。毎日新聞は「安倍首相の歴史認識をけん制するとともに過去の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の村山談話の踏襲を求める立場を鮮明にした」と解説した(3月16日)。中国のいらざるお節介と受け取らず素直に善意としてそのご意見を聞こう。もっとも中国も経済が低迷、弱気になっているのかもしれない。
 村山談話については疑義がある。国際法では侵略がなんであるか定義していない。詳しく言えば「自衛」と「侵攻」しかない。国が「自衛戦争」といえばそれがまかり通る。個人はとかく国として「侵略」と言う言葉は避けるべきだとする意見に賛成である。だが村山談話が出たのはそれなりの背景がある。1993年(平成7年)に慰安婦問題が起きた。戦後50年を迎えて日本の国として歴史認識を示さなければいけない時期であった。村山談話は歴代内閣で踏襲され、安倍内閣も踏襲すると言明している。国として被害を受けた国民の痛みに配慮するという立場を継承するのは当然と言えよう。
 戦後70年を迎え、安倍首相の「談話」に何が盛り込まれるか・・・どのような形にするにせよ「村山談話」の精神は踏襲すべきであろう。苦しんだ人々に届くような謝罪の言葉がなんとしてもほしい。また戦後70年日本が平和国家として歩んできた道を語るべきである。この間日本は一度も戦争をせず一人の戦死者も出していない。敗戦後、驚異的な復興を成し遂げ経済大国として国際貢献をしてきたことも述べ今後日本が向かう「平和と国際協調」の決意を宣言すればよい。これまでのように過度の自己否定をする必要はない。
 はしなくも思い出した。著名な外交官で屈指の交渉能力の持ち主といわれた東郷茂徳さんの言葉である。東郷さんは昭和16年10月成立した東条英機内閣で外務大臣を務め、さらに昭和20年4月にできた鈴木貫太郎内閣で外務大臣になった人である。戦後A級戦犯に問われ、禁固20年の判決を受け昭和25年7月築地の病院で78歳で死去した。その言葉と言うのは「外交の要諦とは交渉で一番大切なところに来た時、相手に『51』を譲りこちらは『49』で満足する気持ちを持つことだ」というのである。
 安倍談話が外交交渉ではないがこれからの日中関係、日韓関係を、さらに日米同盟を考えればそれ以上の重要性を持つ。今後も平和国家として生きていくうえで日本にとって大切なのは隣国・米国との友好である。大国中国に追従するのではなく相手の国民の受けた傷の痛みを十分に汲んだ所信を表明すればよい。そのためには国益を考え、譲るべきところも心得るということだ。たしかに平成27年は日本にとって節目の年である。