銀座一丁目新聞

 

山と私

(107) 国分 リン

― 南米パタゴニア・チリ編 ―

 雄大な自然の宝庫パタゴニア旅行の誘いが、長野のF氏(スキーと山の師)ご夫妻から昨年9月にあった。F氏は他の南米諸国は訪問済みながら、パタゴニア地方のみが未訪問の地、関連書籍を20冊以上読破していた。奥様から是非一緒にと誘われ、「地球の歩き方・アルゼンチン・チリ」を求めて読み、「元気なうちに遠い南米へ。」と夫を強引に口説き、決定した。

 F氏は早速、ぜひ訪ねたい場所とトレッキングする場所をピックアップし、PCで日本語ガイドの居る南米旅行会社を探すも、見つからず止む無く英語案内の「スール・トレック」へ計画をメールして、個人旅行の日程が1月13日から2月3日の22日間パリ経由で決定した。(残念ながら氷河トレッキングは60歳までの年齢制限があり、計画できなかった。)

 チリのパタゴニア地方1月14から19日と27,28日の8日間の思い出深いことを列挙しよう。
小雨の中の広い大地の中、サンチャゴから3時間30分プンタアレナス空港へ到着。迎えの車に乗りマゼラン海峡を右手に見ながら未舗装の道を2時間走り到着した「オトウェイ湾ペンギン営巣地」。ひっそりとした広大な草原の中をロープが張ってあり20分ほど歩くと、つがいのマゼランペンギンたち(体長70cmほど)が私たちを迎えてくれた。丁度子育ての時期で草地に30cmほどの穴を掘って巣を作り、その穴がロープのすぐ傍にあり、人を恐れずとても可愛かった。波打ち際に観察小屋があり、覗いて驚いた。マゼランペンギンの群れが30頭ほど、海に潜ったり、波と戯れたり、エサを取ったりしている様子だった。それが私たちだけで見学出来たことも驚きだった。現地のガイドが英語でマゼランペンギンの保護を一生懸命説明していたが、理解できず残念だった。



次にプンタアレナスのホテルからトーレス・デル・パイネ国立公園への観光バスに乗った。日本人は私たちだけで、色々な国からの観光客でいっぱい。ガイドがスペイン語と英語で説明していた。約15分でミロドンの洞窟へ到着。ミロドンというのは、かつてこの地方に生息し、約1万年前に絶滅したといわれる巨大なナマケモノのような動物で、洞窟入口に復元像があった。洞窟は遊歩道が設置され、10分ほど歩く広さで、岩盤の天井は高かった。途中カラファテの樹がピンクの花をたくさんつけていた。
 バスは砂塵を挙げ2時間30分走り、駐車場へ止まった。国立公園入口のレンジャーの事務所で入園料を払い、またバスに乗り、次に停車したのは通称「パイネ大滝」サルト・グランデへ。徒歩15分天気が良く虹と轟音に歓声を挙げた。ノルデンフェールド湖からペオエ湖へと進む水は、急に狭まった崖を轟音を響かせながら落ちていく。落差はさほどでもないが、水量が多いため迫力があり、背後に重厚な「大パイネ・グランデ山」が見え、満足した。パイネ・グランデ山は国立公園の最高峰で、標高3050m。万年雪を抱き、南から、右に連なるコーヒー色の岩山が「パイネの角」クエノス・プリンシバルという山、さらに右にあるのが「小パイネ・千コ」アルミランチ・ニエト山という。パイネの山々は、標高はさほどでもないが、険しいうえに、降雪の多さ、強風、変わりやすい天候など厳しい条件が重なり、登山の難易度は高いと書かれていた。この日は青空で風も無く最高のお天気だった。
 次はパイネ国立公園を代表する氷河グレイ湖へ向かう。途中パタゴニア固有種のグアナコ(ラクダ科シカによく似た体形で、時速50キロ以上で走ることもできる)の群れや、ニャンドウ(ダーウインレアとも呼ばれ、ダチョウの一種でやや小型)がヒナを何羽も連れて歩く様子がとても嬉しかった。16時にラストロケーションの氷河湖観光のため吊り橋を渡り足場の悪いモレーンの砂利道をグレイ湖沿いに30分歩き、皆がガイドの周りで休憩。解説がスペイン語で分からず残念だった。遠望にグレイ氷河と氷河湖特有の濃い水色、日本では見ることのできないブルーと青空の対比は見事だった。17時30分バスに戻るも、最初の予定では16時30分にラグーナ・アマルガで今晩宿泊予定のロッジ・ラス・トーレスの迎車時間に間に合わないかが心配であった。18時にアマルガへ到着、でもガイドがトランシーバーで連絡を取ってくれ、ロッジのジープが迎えに来てくれ、無事ラス・トーレスへ到着。トーレス・デル・パイネ登山の基地で、広大な敷地に多くの車が止っていた。19時頃でも太陽が燦々と照り、登山客も多く歩いていた。
 最初のトレッキングはトーレス・デル・パイネ登山。ホテル提供のツアーで9時30分にガイド2人とオーストラリア女性、アルゼンチン女性、ニュージーランド人、チリ人2名の合計11人で出発。私たち4人平均年齢 73.5歳、9時間の行程が心配だった。最初から急な登りが始まり、私たちグループがラストにゆっくりペースで歩き11時30分に山小屋チレーノに到着。ここまでは馬に乗り登ることもできる。数頭の馬が繋がれていた。ここで10分休憩し、南極ブナの原生林の中、上高地の林を歩いているように気分良く歩けた。12時30分氷河からこんこんと流れる水は飲めますとガイドに教えられた。
いよいよ最後の岩場を、夫の励ましで登る。私が山は先輩ながら体力の差で負ける。14時20分大勢の登山客が休憩していた。圧倒的な3本の塔トーレス・デル・パイネを頭上に氷河湖を下に見る素晴らしい眺めだ。



昼食を終え、F氏が抹茶を点て、外人さんに羊羹と一緒にご馳走し、その表情はまちまちだった。その頃から風が出てきた。寒くなり、夫が、足が吊ると騒ぎ出した。足が冷えたためだ。薬を貰い飲んでも治らないので急いで下山。足が思うように動かないのでスピードが出ず、私たちのガイドが「山小屋から馬タクシーでホテルまで降りよう。」と提案したので、私たちだけお願いしたが30分以上待っても馬は来ず、時間が遅いので来ないと分かり、1時間待って19時に下山開始。ゆっくりでも馬など頼らなければ良かったと後から反省した。でも南米だからまだ明るく危険が無いのが助かり21時30分ホテルに到着。夫は長時間の山歩きをよく最後まで頑張り、またF氏夫妻に迷惑をかけて申し訳ないと思った。でもトーレス・デル・パイネの貴重な景色は脳裏に焼き付き本当に登ってよかった。

   アルゼンチンの最南端の町ウシュアイア(フエゴ島)から南、ビーグル水道(東の大西洋と西の太平洋をつなぐ水路)を隔てて、チリ領のナバリノ島の集落が最南端の村プエルト・ウイリアムスである。先住民のヤーガン族が住む村やここを旅したダーウインやフィッツ・ロイの航海に使用された品々が展示された博物館が目的だった。この島へ渡ったのはこのパタゴニア旅行最終日の前日であった。管理局でパスポートや出国手続きをして、船着き場へ9時30分、小舟は8人乗りのゴムボートで船主たちは若い女性2人、救命具を付けて乗り込んだ。その波止場は大型旅客船がロシアやヨーロッパからきて停泊する港であった。その間を小舟は勢いよく波しぶきをあげ進んだ。お天気が良く、風も無かったので10時20分ナバリノ島へ到着。3分ほどで小さなホテルに着いた。チリ領の植物検疫官が来ないため11時20分まで待ち、迎えの車で1時間プエルト・ウイリアムス村の入国管理局で手続きを済ませ、宿のラクタイアロッジ13時20分だった。このホテルは設備も良く、食事は最高に美味しかった。お天気も良く私たちで村の中心地まで出かけたが、アルゼンチンと境界線なのでチリ海軍の基地になっていた。村は寂しく貧しげだった。夕方現地のガイドがバスで博物館やウキの集落(ヤーガン族の末裔の住む)を案内してくれた。残念ながら会えなかった。
翌朝は国立公園を苔の研究する大学院生に案内され2時間立派に整備された森の中を楽しんで歩いた。途中ビーバーが済む川や自然そのままの中十分深呼吸をして歩き、満足し、またバスに乗り往路をアルゼンチンに戻った。このプエルト・ウイリアムスはとても印象に深かった。

1月14日(水)パリから11650km、チリの首都サンチャゴ到着は午前9時40分、日本からの所要時間は31時間、時差が12時間あり、14日着になった。この気の遠くなる飛行時間を掛けた旅はまだ続く。