2013年(平成25年)10月20日号

No.589

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花ある風景(505)

 

並木 徹

 

早池峰神楽の意味するもの
 


 監督羽田澄子の「早池峰の賦」を見る(10月7日・岩波ホール)。制作は1982年(昭和54年)。今から34年の作品である。当時、評判となった名映画である。今回、「高野悦子追悼上映」として「薄墨の桜」とともに上映された。古さを感じさせず早池峰神楽に圧倒された。映画芸術の持つ力を今更のように知った。

 映画の舞台となった早池峰山(1917m)は権現信仰の霊山として知られる。修験者が開いた山である。日本の多くの大小の山は修験者によって開かれている。その麓に「岳」(たけ)「大償」(おおつぐない)の神楽が伝わる。山伏神楽である。その舞が「颯爽と躍動的」であるのは当然といえる。楽器は太鼓と鉦と笛である。神社で行う神楽で紙に包んだ小銭を子供たちに撒くシーンがある。どこかでみた風景である。もともと神楽は神前で行った鎮魂・清め・お祓いなどの行事からはじまる。それが歌舞になった。

 カメラは家々での権現舞を追う。舞台は土間。獅子頭が家人の体を噛んで悪魔を払う。雪の中、道具を担ぎ、太鼓を持ち、笛を吹きながら行く。なんとなく心がなごむ。家は「曲家」(まがりや)である。東北地方で見かけた建築物。厩だけを曲げて「かぎや」にする。厩の位置は真南向きで風通しも良く大きい。母屋と同じように考えられたという。馬が農民にとって貴重な財産であった時代である。

 現在、茅葺は瓦と現代建築の家と様変わりした。映画は曲家がとり壊される模様をうつす。時代の流れは速く厳しい。古いものを次々に壊わされてゆく。残ってゆくのは伝統ある山伏神楽である。それを伝えてゆく若者がいるというのも嬉しい。人の命は短く芸術は永しである。