2012年(平成24年)11月10日号

No.555

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山と私

(91) 国分 リン

― 紅葉を求めて「焼岳と中尾温泉」 ―  

 さすが日本百名山の一つで人気の焼岳、頂上直下では行列ができ、登りと下りの交通整理をしないと渋滞ができた。焼岳北峰頂上(2393m)11時40分到着。賑やかな頂上は折から霧が湧き、周囲の眺望は無く、ここからの眺めを期待していただけに残念だ。
 
 「日本百名山」の著書・深田久弥は焼岳をこう評している。焼岳は微妙な色彩のニュアンスをもっている。濃緑の樹林と、鮮やかな緑の笹原と、茶褐色の泥流の押出しと、−そういう色が混りあって美しいモザイクをなしている。しかも四季の推移によって、そのモザイクも一様ではない。ある秋の晴れた日、焼岳はまるで五色の着物を着たように見事だった。」この文章で秋の焼岳へ登り、中尾温泉への静かな山道を下山する計画を立てた。

10月7日 上高地6時30分出発、もう河童橋の辺りは散歩する人がいる。川霧が出て梓川は表情を変えていた。紅葉が燃えに燃えている涸沢カールに思いを寄せ、梓川右岸を下流に進み、西穂登山口で、登山届をだし、始めての林道はひっそりとして上高地とは感じられない。30分程で「焼岳」標識があり、右手に折れ、登山道に入った。まだ色付かない樹林帯の中、次第に傾斜を増し、抜きつ、抜かれつ、ゆっくり登り、大きな岩を右に巻くと、アルミ製の梯子を登り、しばらく登ると木製の梯子を登ると、樹林帯をぬけた。正面には焼岳が荒々しく見え、眼下に上高地、後ろに霞沢岳が大きく見えた。しばらく岸壁の下を左に巻くように進むと、前方に見上げた人たちが登っていた長い梯子の下に出た。ここが最後の10mのアルミ製梯子を慎重に登り、草地の登山道を登ると焼岳小屋へ到着。「焼岳はこれまでに数々の噴火を繰り返しているが、大正4年の大爆発では、土流が梓川を堰き止めて、たった半日で大正池ができ上がったという。その後、昭和37年にも噴火して中尾峠小屋が全壊している。」とヤマケイに書かれていた。焼岳小屋は峠道にひっそりと建ち昔ながらの素朴で小さな山小屋である。山小屋の前を少し進むと右は西穂高への登山道、左に展望台と焼岳の道があり進む。
展望台へ着くと、懐かしい訛りが聞こえ、「もしかして福島からですか。」「そうです。二本松からです。」
「私も福島です。西穂からですか。」「そうです。」「訛りが懐かしくて、気を付けて登ってくださいね。」男性2人に声をかけ、少し下った所の中尾峠へザックを置き、いよいよ焼岳へ取りつく。ザラザラして滑りやすい砂地の斜面を登っていき、ペンキマークを頼りに一生懸命登ると、正面に岩場が迫り、道を左へ巻いて登ると、小さな鞍部で中ノ湯からの登山客が次々と、渋滞になるのが分かった。岩場を触ると熱く、立ち昇る水蒸気や周囲の荒々しい岩稜は北アルプスの一部と思えない異様な雰囲気である。残念ながら夏の暑さが続き、紅葉の見頃には10日ほど早く、残念だった。

 中尾峠に戻ると雨がぽつぽつと落ちてきて、直ぐに下山の用意をして飛騨側へ、この下山路は静かな山道を楽しめることに魅力を感じ選ぶ。追い抜かれたのは10人で、深い樹林帯をひたすら下り、白水ノ滝が見え林道に合流すると、中尾温泉近道の標識で山道を30分、長く感じた。ようやく中尾温泉「
別館まほろば」の木の温もりのある大きな民宿に16時到着し、今回の焼岳登山は終った。