小さな個人美術館の旅(16)
大川美術館
 
星 瑠璃子(エッセイスト)

 大川栄二氏が松本竣介の絵に出合ったのは、まだ三井物産に勤める商社マン時代だ。初対面の画商が茜色に染まる荒涼たる風景「ニコライ堂の横の道」を持って訪ねてきたのだった。名前も知らぬ画家に一目で惚れこんだ。「一瞬声も出ず、絵を見続けたことを記憶しています。無条件で買いました」と後に大川氏は書いている。松本竣介の名が一般にはまだ殆ど知られていなかった頃で、ボーナスをはたけば買える値段だったのである。

 自宅の壁に蒐集した絵を常時四十点ほど飾り、飽きれば他のものととりかえて眺めるのが当時の大川氏の日課だったが、竣介の絵はいくら眺めても飽きるということがない。可能な限り買い集める一方、ゆかりの画家へとコレクションの巾を広げていった。それから三十年。美術品が三千点になった時、これを全部寄付して公益財団法人として故郷桐生に美術館を建てたというのが大川美術館建設のあらましだ。

 一見、何気ない小さな美術館、と思ったがどうしでどうして。一歩中へ入れば山の斜面を利用して作られた内部はたいそう奥が深い。五階建ての建物は最上階に入口を設け廊下伝いに下ヘ下へともぐってゆく独特の設計で、竣介の遺児、松本莞氏の手になるという。ところどころで、光あふれる印象派の絵のような庭やその向こうに遥かにつらなる山々を眺めながら一息いれて、館内を一巡するのに二時間以上かかった。

   
大川美術館 
 大川栄二氏

 明治の洋画、大正の部屋、昭和前期後期と続く部屋々々はいわばこの美術館の導入部。歩きながら近代日本美術の流れを、自然に辿ってしまう仕組みである。階段をひとつ下りると、難波田龍起と夭逝した二人の息子たちの部屋を経て、若くして惜しまれつつ世を去った野田英夫コーナーに達した。松本竣介に大きな影響を残した画家で、竣介と並んで大川美術館の核をなす部分だ。

 竣介の部屋はその野田英夫に隣り合って、あった。野田英夫三十歳。松本竣介三十六歳。いつも思うことだが、早世した画家の作品がどうしてこんなに私たちを打つのだろう。中央に大きな「街」。初期の「盛岡郊外」は1927年の作とある。竣介は1912年盛岡生まれ。中学校時代に聴覚を失い、画家になるべく上京したのが十七歳だから、これは上京前の、まだ少年時代の作。そして、あの暗い戦争の時代をはさんで営々と描きついでいった不思議な静けさがしみとおったような作品群を経て、絶筆の「建物」で終わる展観は、少しの派手さもないのに見るものをひきつけて放さない。

 竣介か死んだのは戦後三年目の1948年だった。麻生三郎ら友人たちが駆けつけた。鶴岡政男は、アトリエの片隅に置かれた、たぶん元気になったらすぐ描けるようにと下塗りのしてあったキャンバスに描き始め「松本竣介の死」を描いた。山口薫も駆けつけてデスマスクを描いた。親友の舟越保武は盛岡から上京の旅費が工面できず葬式に参列できなかった。竣介が死んだのはそんな時代だった。以下は岩手の新聞に載った舟越の詩「松本竣介の死に寄せて」の抜粋から。

 氷晶のような男だつた
 透明な結晶体のような男だつた
 適確な中心をえて円満であり
 しかもその稜は十分に切れる鋭さをそなえてゐた
 類いなく冴えた画家だつた
 美について底の底まで掘り下げて語り合えるこれは得難い友であつた
 言葉すくなに意味深く、切るように話しの出来る友であつた
 自らの仕事を鋭く解剖し、絶えず吾が身を鞭うつて、精励する真の作家であつた
 その俊介が
 実然、死んでしまつた
 (中略)
 「アトハキミガヤレ」
 と死んだ俊介はいうにちがいない
 イヤだ も一度生きかえつて、あの橋の絵を描いてくれ
 (後略)

 松本竣介の部屋を出て、麻生や鶴岡や山口薫など「俊介に影響を与えた画家たち」の大さなスペースを過ぎ、これで終わりかと思ったらその先がまた長いのである。アメリカの現代絵画、日本の現代作家、ピカソ、ブラック、シャガール、ニコラ・ド・スタールら海外の作家の部屋などを幾つも通り、最後には資料室といたれりつくせりの展観であった。現在の収蔵品は約四千点。うち三百点を、年四回入れ替えながら監視人も置かず何とも身近な感じで常設している。

 「ものすごい充実ぶりですね。ループルに来たみたいで、もうクタクタです」と思わず文句(?)が出た。

 「よくそう言ってオコられるのですよ。でもこれだけあれば必ず一点や二点、自分が本当に探していたものにぶつかることができるでしょう。心に残る一枚との出会いがあればそれでいいんです。一度で見つからなかったら何度でも来て、それをゆっくり探してほしい。美術館とは本来そういうものだと私は思っています」にこやかに笑いながら、しかし気迫をこめて、館長大川氏はそう言う。

大川美術館

 住 所 群馬県桐生市小曽根街3‐69 TEL 0277-46ー3300
 交 通 東武伊勢崎線新桐生駅下車タクシー10分
     又はJR両毛線桐生駅下車徒歩13分
     車の場合は関越自動車道東松山インターより45分、
     東北自動車道佐野藤岡インターより50分
 休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp