2008年(平成20年)1月1日号

No.382

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

茶説

「フイルノット」は世界に光り輝く

牧念人 悠々

  今年も激動の時代である。白い時代のキャンバスに見事な絵を描くのは夢に挑戦・創造する人たちである。もちろん昨年同様陰惨な事件も食品偽装事件も考えられない事件・問題も起こるであろうが、愚直に己の道を、己の夢を目指して懸命に歩む人たちも少ないであろう。そこでこんな人を取り上げた。
 京都には歴史と伝統が生きづく。素晴らしい芸術と文化が生まれ育つ。工芸の本阿弥光悦、絵画の俵屋宗達、建築、造園の小堀遠州を生んだ。その人の祖母は西洋手芸をたしなみ、母は仏画を描いた。その人自身は子供の頃、バレリーナを夢見た。長じて「結び女」となる。その結び目の作品はフイルノットと名付けられ、蝶は舞い、風神・雷神は暴れ、観音菩薩は微笑み、天女は海を渡る。
 その人との出会いは平成2年、東京越中島のスポニチ本社2階「スポニチギャラリー」で開いた「フイルノット展」(6月20日から30日)であった。知人からの紹介であった。スポニチに社屋は平成元年に新築されてギャラリーは日ごろ会議などに使われていた。展覧会は初めの催しものであった。当時のスポニチの牧内節男社長はオープニング・パーティで「ギャラリで作品展を開くのは初めて。会場はとても小さいけれど本田さんはいつかきっとスポニチに恩がえをしてくれるでしょう」と、これから大きく羽ばたく本田さんに期待を込め ての挨拶であった。これに対して本田さんは「東京でこのような催しができてとてもうれしい。その上たくさんの人に来ていただいて。今は夜明けの段階、これからもっといい朝、昼を迎えたいと思います」と応じた(平成2年6月30日スポニチ社報)。
 25年前に開いた本田さんの「あみもの教室」は古代から伝わるシンプルな結び「マクラメ」に発展、さらに光ファイバーを結ぶ「フイルノット」にまで成長する。そのひとが制作した「天女」はたまたまスポニチと文化交流ができたアイスランドの女性大統領ヴィクデス・フィンガドッティル大統領に贈呈された(平成2年11月14日)。贈呈場所は「スポニチギャラリー」であった。本田さんは「天女のデッサンは仏画を趣味にしている80歳の母が描きました。光フィアバーに四系統の光線を使い二十色に変化するように工夫してみました世界で最初の女性大統領に私の作品が贈呈されるなんて・・・」と感激しきりであった(11月21日スポニチ社報)。一般紙、スポーツ新聞を含めて大統領が新聞社を訪問されるのは異例の出来事である。その光栄に浴したスポニチにとってそのお礼のプレゼントに頭を悩ますところ,本田さんのおかげで助けられた。
 フイルノットは平成元年「FHILKNOT」と商標登録された。「PHILANTHROPY」(博愛)と「KNOT](結び)からの造語である。「みんなに愛され、美しく気品ある」名称である。
 その人の活躍は、東京と京都と離れていてもよく聞いた。ロンドンでのジャパンフェステバルに「まんだら」「不動明王」を出品、コシノ ジュンコ パリコレクションの制作に参加、デズニーランドパーレードの衣装にフイルノットを使用などはなやかな話である。息子の幹太さんも娘の麻子さんもその人の仕事に参加、年ごとに業績を挙げた。平成8年アイスランドの女性大統領の来日を記念して「光のまんだら展」が「銀座アートスペース88」で開かれた。久しぶりに会うその人の顔は輝いていた。2004年にニューヨークで個展を開いたと聞いたときには別に驚かなかった。彼女は前しか見ていないと知っていたからである。その年の暮第55回NHK紅白歌合戦に出場した美川憲一の舞台衣装を飾った。その人の創作意欲はどこまでも続く。夢を追いかけ、夢をかなえてゆく。2008年も楽しみだ。現代の名工は「光る紐」からどのような芸術作品を生み出してくれるのであろうか。その人の名は本田寿子さん。京都市下京区に本拠をおく。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp