2007年(平成19年)12月1日号

No.379

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(295)

パール博士と林田悠紀夫さん

  参議院議員、京都府知事を務められた林田悠紀夫さんの告別式(11月16日・死去11月11日、享年91歳)に「天界からの弔辞」として瀬島龍三さん(パール博士顕彰碑建立委員会・同台経済懇話会会長・今年9月4日死去)の弔辞が読み上げられたのをこのほど知った。
 弔辞にいう。「戦後の日本の精神復興の基となり、また日印友好協力の源となっているパール博士顕彰碑の建立に当たり格別の御尽力をいただいた御貢献に対して深甚なる敬意を表し感謝申し上げております。本願寺宗徒の一人として一足先に参りました天界において林田様をお迎え申し上げております」
 パール博士の顕彰碑が京都市東山区霊山・京都霊山護国寺内「昭和の杜」に建立されて今年で10年になる。11月20日パール博士顕彰碑建立10周年記念行事が「昭和の杜」で全国から140人が出席して盛大のうちに厳かに行われた。実はこの地を選んだのは林田さんであった。田中正明さん(日本無罪論著者)から博士の顕彰碑の話を聞いた林田さんが「パール博士にふさわしい場所がある」と東山の霊山護国寺の地区を提案された上、護国寺の木村宮司の内諾をえる努力をされた。かくてここに高さ2・4メートル幅1・2メートルの大理石製の碑と長さ7・6メートルの扇形の壁面から成る顕彰碑が建立された。その後、靖国神社境内にもパール博士顕彰碑が建立した。
 実は瀬島さんの「天界からの弔辞」を考えついたのは同台経済懇話会常任幹事で顕彰碑建立副委員長を務めた野地二見さんである。夢の中に瀬島龍三さんが出てきて、なくなった林田悠紀夫さんのお通夜に行ってきなさいといいつけた。「ああ、瀬島さんがパール博士の顕彰碑建立でお世話になった林田さんと天界であったのだなあ」と直感したという。不思議なことがあるものだと野地さんは述懐する。
 昭和の杜にあるパール博士顕彰碑はまだ一度しかお参りしていないが、靖国神社にあるパール博士の顕彰碑は靖国神社へ参拝するごとに訪れている。東京裁判でのパール博士の「被告全員の無罪弁論」は日本の独立後、初めて公表され、日本国民に大きな感銘を呼んだ。絞首刑になった被告たちはパール博士の無罪論を知ってあの世に旅立っている。東条英機大将はパール博士についての歌を残す。
   百年の後の世かとぞ思いしに
   今このふみを眼のあたりに見る
  パール博士は偉い人であった。博士の業績を伝えていかねばと思っている。顕彰碑の碑面に博士の判決の一節が刻まれている。「時が熱狂と偏見を和らげたあかつきには、理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡にに保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求であろう」

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp