2007年(平成19年)3月1号

No.352

銀座一丁目新聞

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追悼録(268)

前野徹さんを偲ぶ

  東急エージェンシー元社長、前野徹さんの遺著「凛の国」(講談社+アルフア文庫)の新聞広告(2月24日)には「若者よ、自虐史観を捨てよ!『最後の国士』が、誇るべき日本精神文化を描いたベストセラー」とあった。たしかに前野さんは「憂国の士」であった。今の日本がおかれている状況を『第四の国難』と表現した。蒙古襲来(1274年・文永11年と1281年・弘安4年)明治維新(1867年)敗戦(1945年)と並ぶ危急存亡の危機に直面していると分析し『第四の国難』(扶桑社・2001年5月)を出版した。この本に序文を寄せた石原慎太郎東京都知事は「トインビーは自ら決定する能力を欠いたいかなる国家も簡単に崩壊するといったが同じことが今の日本にも当てはまる」と書く。「自ら決定する能力を欠いた国家」とはすべてを先送り。NOといえない。時期尚早。右顧左眄する。無為無策などと表現される国家である。
 『第四の国難』の出版のお祝い(2001年11月9日・赤坂プリンスホテル)が「東京都知事を囲む創業経営社の会」と21世紀・研究会が世話役で開かれたように前野さんは人と人を結びつけるのが上手な方であった。『結縁・尊縁・随縁』を座右の銘とされた。縁を結び、結んだ縁を尊び、縁に随うという意味である。この言葉は1956年中曽根康弘元首相等と始めた勉強会の同志達と誓い合ったものだという。中曽根元首相を葬儀委員長で執り行われた葬儀(2月21日・青山斎場)でも祭壇のスクリーンにこの座右の銘が映し出された。
 前野さんにはスポニチの社長時代事業面でいろいろ助けていただいた。記憶に残るのはダイアナ・ロスの日本公演(1992年3月)である。女性文化人を中心とした「社長ランチ」を企画してくれた。ここでダイアナ・ロスと親しく懇談した。お土産に幸福を呼ぶ、手作りの「あくび姫」の面(岡本博さん作)を贈った。15年前も前の話である。
 健康麻雀協会会長の田辺恵三さんの進めでよく前野さんと麻雀をした。五島昇さんの「政治部長」をしていたことがあったので政界に知己が多く、政治の動向には詳しかった。麻雀より政治の話が面白かった。「凛の国」に前野さんの言葉として「歴史の語り部の一人として、素晴らしい日本人の歴史と魂と精神の樹、歴史の真実の樹を植えつづけていこうと思っています」とある。その前野さん、いまやなし。惜しくも2月8日この世を去った。享年81歳であった。

(柳 路夫)

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