2006年(平成18年)1月1日号

No.310

銀座一丁目新聞

北海道物語
(26)

「札幌への一極集中の問題」

−宮崎 徹−

  今年十月に実施された2005年国勢調査で、予想以上に札幌圏の一極集中傾向が増して、道民の大きな問題となっている。
 我が国で第一回の国勢調査が行われたのは大正九年(1920年)である。当時北海道と沖縄県だけは市の名称はなくて「区」があった。北海道の人口第一位は函館区で14.4万人。小樽区10.8万人。札幌区10.2万人。旭川区6.1万人。室蘭区5.6万人。夕張町5.1万人。釧路区3.9万人だった。函館は当時全国九位、小樽は全国十三位である。北海道は本州からの海運によって港町が開発されたことが明らかで、札幌は未だに行政の中心というだけである。商都は小樽であり、軍都は旭川である。室蘭は鉄、夕張は石炭、釧路は漁業・石炭とそれぞれ個性を持っていた。
 この大正9年の行政の境界は、都市が周辺部の町村を編入することによって大きく変化した。北海道の区は大正11年に市と名を変えたが、札幌市に就いていえば、昭和25年に白石村を、昭和30年に琴似町・札幌村・篠路村を、昭和36年に豊平町、昭和42年に手稲町を、次々と合併編入した。又26年に広島村、30年に江別市、48年には小樽市との間の境界変更を行い市域は更に拡大した。これだけの大規模な面積の拡張は他都市には見られない。行政・経済・文化の中枢機能を集め、綜合大学や銀行の本店は皆札幌に集中した。第一回調査の一位だった函館は、北洋漁業の衰退と青函連絡船の廃止により地盤沈下し、二位の小樽は樺太の喪失を始め象徴的な日本銀行支店の廃止等によって経済の拠点性が低下して、何れもパワーを失ったのである。此の二つとも海に面して居るので、合併すべき地域も限られていた。
 さて、今回2005年の国勢調査結果の全道速報値が12月初旬に発表された。総人口は五百六十二万七千人である。此の処の国勢調査では二回連続しての人口減少で、北海道としては初めてのことである。減少数の目立つのは函館市が11,099人、釧路市が10,224人、小樽市が8,522人で、これ迄僅か乍ら増加していた旭川も今回は4,548人の減少であった。これに対して札幌市の人口は3.2%増の1,880,875人で全道人口に占める割合は33.4%となった。従来札幌に本店がある商社は、函館、旭川、釧路に支店を設け、また札幌に支社がある東京の会社は、出張所をこれらの都市に設けていたので、旭川以下のこれ等の市は地域の業務中核都市と呼ばれて居た。しかし相次ぐリストラで、札幌に集約する傾向が進み、又旭川支店に配属されても、女権の強い現代では子供の教育を理由にして妻子は札幌を離れたがらないようである。三月末は各地は移動による社会的人口減が起きるが、これ迄は旭川は出生が死亡より多い自然増で、社会減を補い、36万人都市を保って来たが、最近の出生率の低下で、それを割る様に成った。若者の就職先の少ない小さな町は老朽化が進み、更にその傾向が大きい。
 政令指定都市といって、道府県から、福祉・衛生・都市計画など十八項目の事務が一括して委譲されるほか、知事だけでなく大臣の監督を受ける等の特例が、人口百万を超える都市には認められ、現在全国に十四ある。札幌と福岡は昭和47年4月に同時に指定を受けた。それから三十余年たった昨年で、札幌は福岡より人口が五十二万人多いのである。福岡県には他にも北九州市という政令指定都市があり、かつては全国紙の九州支社は、みな小倉に置かれていた。小倉ほか数都市が統合されて北九州市となったが、新日鉄の発祥地でもあり、工業生産高は大きく、商業都市の福岡とは機能分担が行われている。北海道の札幌は一極集中であり、今や二百万都市を目指す勢いである。全道の33.4%という数字は、道庁という地方の立法府の運営に当って、道議会での政党の力が大きく影響してくる。地方の分権が大きくなれば、札幌市民の支持政党のことが、全道民にとっては気にかかる。大都市型の札幌だけに都合のよい政令が決められて、道内地方との差が大きくされてはたまらないからだ。一極集中はこんなところも問題になってくる。
 ただ北海道全体が衰えれば、やがて札幌にも余波が来るのは、全道が判っていることである。
 今注目されている市町村合併は、明治22年の市町村制スタート(全国で約一万五千)の時期、敗戦後の昭和の大合併(全国で約三千五百)に次ぐ第三の機会と云われる。
 明治の際は、一つの村には小学校を一つ置くことにして人口八百人以上を考えたという。モータリゼーションが進み、国内の航空路も拡がった今の平成時代で、この行政単位をどうすれば住民の便益を高め、発展性のある地域をつくれるか、北海道の将来は、札幌圏以外をいかに地域の特色に応じた発展をさせるかにかかっている。
 これまで、合併の際に障碍となっていたのは人間だったという。例えれば商工会議所と商工会とは一緒にならないとか、市長や議員の問題である。
 しかしこれはなにも北海道に限った問題ではない。合併は新しい文化の創造という地域歴史上の責任もあるのだから。みんなで力を併せてよりよい地方の特色を生むことにつとめなければならないだろう。

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