夫が51歳の若さで死んだのは、お酒の飲みすぎで肝臓を悪くしたせいだと知ると、
「どうしてお酒を止めさせなかったのですか」
と紋切り型の質問をよく受けました。
誰が好き好んで大事な夫を酒漬けにして平気なものですか。家にあるお酒を隠したり、買い置かなかったり、文句を言ったり、ひと通りのことはしたのです。本人もいろいろと努力を試みました。一人では無理だと思うと友人をも巻き込んで
「今から休酒をしよう」
と、家にあるお酒をドボドボと台所の流しに捨てて、いっとき喫茶店通いをしてミルクを飲んだり、コーヒーの入れ方を研究したりもしました。また、飲む時間を夕方からと決めたり、パーティーや祝い事のある日と決めたり、それなりに一生懸命でした。
将棋のプロというのは、勝ったり負けたりの辛い修羅場に身を置く因果な稼業ですから、飲まずにいられない、そんな時だって数多くあったと思うのです。お酒は自分で本当に止めようと決心しない限り、他人が簡単に言うように止めさせられるものではありません。それも本人が
「休酒はしても断酒をするつもりはない」
と断言しているのですから、傍からはどうしょうもありませんでした。ひどいアルコール中毒で他人に迷惑をかけるとあれば、また別の手もありますが、夫のお酒は楽しい喋り酒でした。休酒をしている間でも皆と一緒にいて、ウーロン茶を飲んで同じようにワイワイやっていました。それだけ意志が強ければ、そのままずっと休酒を続けて完全に止められるのではないかと、周りは思ったものです。
でも考えてみて下さい。アルコールを断つということは、ビールもワインも、ウイスキーもブランデーも、焼酎も日本酒も全部です。私はアルコール類はなくてもいい方ですから、いっさい飲むなと言われても別に困りませんが、これがコーヒーや紅茶や緑茶などのお茶類をいっさいダメと言われたら、こんな味気ない生活ってあるでしょうか。何かの願かけで、3ヶ月とか、半年とか、長くても3年というのならまだしも、一生それを強いられたら、いくら体のためとは言え、私にも出来そうにありません。
1年間の休酒のあと、「喪明け」と称して解禁のパーティをやりました。1年ぶりに口にする最初の一杯のワイン、夫は心を鎮めるかのようにひと呼吸してからグーッと一気に飲み干しました。
「ご感想は?」
と聞かれて
「頭のてっぺんから足のつま先まで、ジーンとしみわたるような気がした」
と答えていました。こんなに美味しそうに、こんなに嬉しそうにお酒を飲む人に、この先ずっとお酒を断てなんてどうして言えたでしょう。量を少なくするとか、ときどき休酒するとか、お酒だけにならないように食べ物に気をつけるとか、そのぐらいしか出来ませんでした。
「貴女ってきっといい奥さんだったのね」
葬儀のあと友人のひとりが言いました。でも結局はそのために大事な夫を失ってしまいました。結婚して28年、それ以前の13歳の出会いから結婚までの9年を加えると37年間、これといった波風も立たず、けっこう仲良く過ごせたほうだと思います。それは親の郷里が近かったり、子供の頃の生活が似ていたり、物の価値観が同じだったりしたことが幸いしたのだと思います。
それに加えて、結婚当初から夫の原稿の口述筆記をしていましたので、夫が何を思い、どうしたいのか、人生に対する姿勢までもよく分っていましたので、ことお酒に関しても寛大になれたのだと思います。でもまさか、こんなに早く“置いてきぼり”を食うなんて思いもしませんでした。夫も私も病気に関して余りにも楽観的すぎたのです。
「いい奥さんなんかじゃない、51歳で死なせてしまったのだから…」そう悔いる私に「長く生きることだけがベストではない、どう生きたかが問題なのよ」と言ってくれた人がいます。
それなら夫は、お酒は人の3倍は飲んだけれど、仕事も遊びも3倍こなし、人生をこよなく愛して足早に通り過ぎて行ったように思います。あれから14年、世間へ出てみて仕事を通じて多くの人と出会い、やはり生きているということは素晴らしいことだと改めて感じました。あの時、一緒にお茶断ちをしていたら・・・、と詮無いことをふと思うことがあります。
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