21世紀を迎えた。どうも心がはれない。重ぐるしい閉塞感がする。世紀末のいまわしい現象がそそのままずれこんで起きる予感がするからである。
「迷夢 昏々、万民赤子いずれの時か醒むべき」と、遺書に書いたのは、ニ・ニ六事件(昭和11年・1936年)の野中 四郎大尉(陸士36期)である。
「迷夢昏々」―昭和の初期から半ばにかけて深刻な不景気、特に農村はひどく女子の身売りがさかんであった。加えて政治の腐敗、思想的混乱、あいつで起きた右翼のテロ事件など時代の混迷は極度に達した。
耳もとに「昭和維新の歌」(三上 卓作)がきこえてくる。
権門上に驕れども/国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども/社稷を思う心なし
この年は平成12年と似ている。猟奇的な阿部 定事件(5月)が起きた。第11回ベルリン・オリンピックで、200米平泳ぎで前畑 秀子さん、マラソンで孫 基禎さんがそれぞれ優勝した(8月)。金6個を獲得した(シドニーは5個)。はじめてラジオの実況放送が行われ、NHKの河西 三省さんの「前畑がんばれ」の放送に国民は熱狂した。プロ野球がはじまったのもこの年であり、巨人軍がタイガースを破って優勝した(12月)。
五年後に大東亜戦争に突入するわけだが、戦後55年、平和憲法のもと、日本は一人の戦死者を出していない。他国の人々を殺傷もしていない。この事実を忘れてはなるまい。その平和憲法がゆれている。一段とかまびすしくなりそうである。今年のキーワードのひとつは「憲法」としたい。
昨年の明るい話題は、朝日テレビのアンケート調査によると、女子マラソンの高橋尚子選手の優勝と巨人軍の日本一ぐらいしかなかった。昭和11年も同じようなものであった。
しかし、昨年は44歳の田中 康夫さんが予想を裏切って長野県知事になった。その後の田中知事の行動をみれば、明らかに時代が良い方向にうごいているように見受けられる。固定観念、既成概念の打破、既成利権構造の崩壊、若さの台頭など新しい動きがでてきている。
民主主義の時代、国民は投票行動で地方を、国を変えてゆくほかない。
三上の歌はつづく。
功名、なんぞ夢の跡/消えざるものは ただ誠
人生、意気に感じては/成否を誰かあげつろう
西郷 隆盛(1827−1877)は言った。
「命もいらず、名もいらず、官位もいらず、金もいらぬという人は始末に困る。しかし、この始末に困る人でなくては大きな事業はできない」
21世紀、待望の人物はこのような人材でなければ、沈みかけた日本を救う事は出来まい。もう一つのキーワードは「人材の発掘」としよう。約130年前の西郷の言葉をじっくりかみしめたい。