2000年(平成12年)10月10日号

No.122

銀座一丁目新聞

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追悼録(37)

 大東亞戦争の撃墜王、海軍中尉、坂井 三郎さんが亡くなった(9月22日)享年84歳であった。
 陸士の本科で歩兵科に進んだ(昭和19年10月)私には航空兵の大空の醍醐味と常に死と隣り合わせのきびしい訓練を知る由もない。私たち59期生の半分以上が地上兵科より6ヶ月前に予科を卒業(19年3月)して航空士官学校へ行った。しかも彼らは日本では空襲が激しく操縦訓練が出来ないというので20年4月末に満州に渡り、ソ連国境近くの飛行場に分散、訓練にいそしんだ。終戦で大半が復員したが、一部はソ連抑留され苦難をなめた。
 坂井さんは昭和8年海軍に入り、はじめは戦艦の砲手となり、志願して戦闘機乗りとなった。その決死勇戦ぶりは著書「戦話・大空のサムライ」 「続・大空のサムライ」(いずれも光人社NF文庫)に詳しい。
 その著書をみると、59期の航空が初歩の操縦の訓練をしている19年7月、坂井さんは硫黄島の戦いで全機体当たりを命じられて出撃、百機に近い敵戦闘機の迎撃と大雷雨のため目的を果たさず、夜間洋上飛行の末、部下の2機の零戦をつれて、奇跡的に帰還している。戦争が終わるまで坂井さんは列機を失わなかった稀有の人である。
 勝負師であった。幾多の危機をその都度切り抜けている。日ごろから剣豪の本をよみ、先輩の話も聞き、研究し、自分を鍛え、どんな事態に直面しても、自分の力を信じ、諦めず、頑張りぬいた。
 実戦にもとづく話はおもしろい。操縦中パニックに落ちいった時、坂井さんは肩の力を抜き、丹田に力をいれ、平常心になることだという。また、男性の象徴を手でひっぱりだすことも進める。アメリカのパイロットは、このような時は「時計を見よ」と教えられているそうだ。確実に秒針まで読めたらたいしたものだという。また指揮官には1実力 2演出能力 3魅力 4指導能力 5決断力の五力が必要だと説いている。
 当時の陸軍航空士官学校、徳川 好敏校長が59期生に与えた訓示は1実行力の養成 2知行の陶冶 3学業と心技の一致であった。ほぼ同じである。
 坂井さんを偲びつついまの世に必要なのは、この五力だと痛感する。

(柳 路夫)

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