都心で開かれた先輩の奥さんの一周忌に出席した。生前賑やかなことが好きだったというので、献花のあと、「献杯」を「乾杯」といいかえ、高らかに杯をあげる明るいパーテーになった。陸士は私の二期上の57期、船舶砲兵。武勲を上げて復員。28年奥さんと一緒に小さな運送業をはじめ、苦労に苦労を重ね立派な会社にした。今は東京・港区に8階建てのビルを持つ。地域のリーダーとしても活躍している。名は長井 一美さん(78)という。世が世であれば私が長井さんの前では直立不動の姿勢をとらねばならない。
たまたま私がスポニチの社長をしていたので、その新聞輸送をしている長井さんにとって私は大切なお客様である。日ごろから丁重な物腰で接せられる。きわめて頭が低いのである。これが気配りのきく奥さんの存在とともに会社繁栄の一因でもあろう。
奥さんの静江さんは昨年7月28日亡くなった。足の骨折手術のため病院に入る前日、奥さんは長井さんに「お父さん、体を拭いて・・」といって全身をふいてもらった。入院の朝、小さい椅子に座ってわざわざ長井さんの靴を磨いて、病院に出かけた。手術は成功したのだが、麻酔が効きすぎて帰らぬ人となった。
死を覚悟していたのであろうか、おもわず涙がでてしまった。
長井さんは3年前に社長職を長男純一さん(50)にゆずり、専務に次男浩さん(47)をあて、これからの人生を奥さんとすごそうといろいろ考えていた矢先であった。
6月はじめ、長井さんを訪れたところ、部屋中に奥さんの写真が飾ってあった。これにはびっくりした。海外でも国内旅行でもいつも手をくんで歩き、同行の人たちを羨ましがらせたという。男と女の間柄はさまざまである。70すぎてから、このような夫婦は珍しいと思う。陸士出身者というのは、奥さん思いなのかもしれない。
(柳 路夫) |