そごうの『倒産劇』はいくつかの教訓を残した。もっとも大切なのは、何よりも消費者をバカにしてはいけないというきわめて平凡な一事であった。もともと公的資金を大手企業とはいえ民間会社の救済に使うのは納得いかないし、無理な話であった。
自民党政調会長の亀井 静香さんは党政務調査会の関係部会合同会議で次のような発言をした。「そごうの商品が売れなくなった。消費者が反感を持てばどんな支援策も効果がない」(7月14日朝日新聞)
当然である。何も商売だけではない。政治も自治体も消費者(有権者、地域住民)の反感を買っては仕事ができない。亀井政調会長の助言でそごうが債権放棄を自主的に取り下げて民事再生法の申請をしたのは当然の帰結である。
今井 敬経団連会長も『国民の怒りの前に債権放棄の要請が吹き飛んだ。不公平感、この事態を招いたそごうの実質経営者への怒りが国民の不買につながった』と指摘した(7月14日毎日新聞)。
亀井会長が企業のトップに電話で直接伝えた処理方法に問題が残るとしても、消費者の視線でモノを見る目の大切さを教えた今回のそごうの倒産の意義はすくなくない。
新聞王ウイイリアム・ハーストの言葉を思い出した。
『大衆が興奮した時その興奮をとらえよ」
これは新聞づくりの教えだが、政治も商売も同じである。興奮する大衆をそのまま無視して、一旦決めたことだとして強行するのは愚者のやることである。
新聞は興奮する大衆を記事にすればよいが、政治の場合そうはゆかない。興奮する大衆が納得する具体策・政策を提示しなければならない。
ハーストはこうも言っている。
「いかなる高価な代価を払うとも大衆をとらえよ」
大衆の理解を得,支持をえるには金がかかるのである。その意味ではそごうの前途はきわめてきびしいもがある。
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