道場主今月の一言

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。」
老子(『老子道徳教』)

銀座俳句道場 道場試合第64回決着!!  

7月の兼題は 「蝉」、あと2題は自由でした。     

 
 残暑お見舞い申し上げます。
 豪雨、猛暑、豪雨、又猛暑…そしてすでに立秋を過ぎてしまいました。
 時間の早さを思います。それは六十一年過ぎた終戦(敗戦)からの歳月を
 もすぐに思わせます。「戦争を知らない子供たち」も定年時期だったり、
 間際だったり。これからは「未来の子供たち」の感受性と知性に期待
 したい、と思います。その為にも語り継ぎ、書き継いでいくことの大事を。
 追  この選評を書いている間に、小泉首相の十五日靖国参拝、そしてその
    夕刻の加藤紘一氏の自宅・事務所の放火事件が起こりました。背筋が
    寒くなっています。「時代」というものが、様々な事柄がリンクしつつ
    動いていくことを肌身に感じます。「嫌なご時勢だねー」などと言って
    る暇は無い!と心に深く刻みました。その中でのマスコミの責任、そ
    して何より個人の責任と自由を考えねばなりません。      (谷子)

 親と子の心理的距離感というものは、昔と異なってきてはいるだろう。
 親の自立の意識、子の核家族化…しかし、底に流れる熱く一途な思いは変る事は無い筈。「月見草」が、さっぱりと元気に見える親の、内側の情の濃さといくばくかの寂しさを浮き彫りにする。
 
  外国風景か。日盛りの烈しさと、「地下の礼拝堂」のしんとした涼しさ。
  なんと言うことは無い一句に見えるが、海風と、夏館の周りの木々の茂りを、すっきりと読者に感得させる。
 

【入 選】

コーヒーにミルク渦巻く戻り梅雨      薫子

風死して蟻黙黙と財を成す         老松

 薫子さんの一句は「渦巻く」によって、戻り梅雨のうっとうしさが、老松さんの一句は、下五の措辞がこの小さな生き物の持つエネルギーとコワサとでも言うものを伝えてきます。

 

   【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)

 地震知る木地震知らぬ木も蝉生る               龍子
夏蝶を乗せて電車の発ちにけり
大出水救助の小舟に犬もまた

一蝉の俄にぎわし夕間暮れ           薫子
風薫る山路の果ての美術館 

 東京に見し絵の飛泉瀧飛沫                  章司
初蝉の短くちちとエトルリア

 宮参り 記念写真に 汗みずく                霞倭文
 初蝉は ただ一匹で 必死鳴く
 歩くほど 止まれば汗は 噴出して
     〈止まる度汗の噴出す千歩万歩〉

ふるさとの背戸は変らぬ蝉時雨          花子
今日のことビールの泡に溶かしけり
合歓の花今年は母の七年忌
   三句共心の篭った作品でした。

 空蝉の蒼空見上げしがみをり           竹雄
玄関に打ち水のあり客迎ふ
 部屋の中 気分すっきり土用干し

 みんみんや廃屋に残る紋瓦            天花
   「残る」が必要かどうか再考を。
荒葭簀蕎麦屋の主の話し好き
 説法を聞く子の正座七月尽
   「七月尽」よりももっと絞って、「盂蘭盆会」「魂祭」など。

走り根の雨露しみる蝉の穴          あゆ
初蝉やためらひつ振る神の鈴  
   「初蝉やためらひつ鳴る神の鈴」と。
 水音の風が撫でゆく合歓の花 
   上五、いささか詰屈です。景は涼やかですが。

 学び舎も森に埋もれて蝉時雨           正己
   「も」が必要かどうか。
庭先に今朝も三本へぼ胡瓜
金剛の山の端白し夏の月

一蝉の俄にぎわし夕間暮れ            薫子
コーヒーにミルク渦巻く戻り梅雨
風薫る山路の果ての美術館 

 住み古りし土間の安らぎ蝉の鳴く         方江
 エプロンをはずし挨拶カンナ燃ゆ
    
夕蝉や芭蕉糸縒る媼の手             のぼる
  世話役のすすめ上手な祭酒
   「世話役のすすめ上手や祭酒」と。
夏雲や声を限りの応援歌 

 蝉の子の羽化せんとして四肢を張る        洋光 
蝉の子の羽化の始終を見てしまふ
 刎頚の友の新盆たちまちに
    気持ちは解るのですが、「たちまちに」を再考。

たった一声初蝉を聞きにけり           山野いぶき
 かなかなの声に誘われ散歩かな
夏木立レトリーバーの集会所
夜のとばりなほ啼き止まぬ深山蝉                 紫微
流灯や南溟までも届けかし
水打ちてのちまらうどを待つばかり

蝉声のはたと静寂ラヂオ鳴る        あきのり
 園庭のチャイムよどみて大暑かな
ばさばさと草チャク擲って川へ裸の子
     「チャク」は誤植でしょう。

 尾瀬の原 蛍の舞いに 迎えられ          河彦
栗の実に 緑の雨や 芭蕉館
   「栗の実に雨も緑や芭蕉館」でしょうか。
 蝉一匹  忘れたころに 鳴き始め
             
 鳴く蝉のはたと止みたる昼さがり          満子
叔母見舞ふ石見路西へ青葉潮
 雲海にぬっと顔出す富嶽かな

ワーグナーと競演している蝉時雨          さかもとひろし
 空蝉やありし日のわれの似姿か
積乱雲レバノン砲煙遥かなり
                    
 劇場を出て蝉時雨のシャワーかな           よし子
    「宝塚劇場を出て蝉時雨」のように。
 白靴や少年の日の吾子が来る
密豆や恐竜展の帰り途
   「蜜豆」ですね。

 空蝉や生あるものの姿して            二穂
梅雨明けや月下美人の花開く
 風蘭の香りて刻はゆったりと?
   「風蘭の香やゆるやかに刻流れ」と。

三伏や皿は揃ひの藍模様              だりあ
 オートバイの尾灯カラフル百日紅

 人を待つけやきの風に蝉の声            萬坊
雪辱の少年野球蝉しぐれ
 無造作に僧侶の出しぬさくらんぼ

 狭庭なれ 終の棲や蝉時雨             老松
 疎ましき蚊の一匹に執しけり

 シャワーして覚弥で茶漬夏の朝           美原子
   「シャワー」は一応夏の季語。ここでは中七以降を生かして、
   上五を再考して見てください。

 病得て優しくなりぬ桃の肌
   「病得て優しくなりぬ秋蛍」などと。
病室に短冊まわる星祭

畏見て玉音放送蝉時雨               意久子

「これあげる」千代紙の箱に空の蝉         みどり
 波消しのブロックの浜蟻走る
えごの花散りしく道の別れかな

 初蝉や葉脈透ける山の経                弘子
      「山の径」
闇戻り遠ざかりゆく花火船
桃洗う赤子のように掌に包み

この先も絶望の道か蝉を聞く              悠々   
  1945年20歳、陸軍士官学校生として敗戦の日を迎え、
  戦後復興の中心として走り抜けて来られた方に、60年以上
  経って、同じ蝉声にこのような感慨を抱かせてしまうことに
  胸が痛くなります。
  「絶望の虚妄なるはまさしく希望と相同じ」という言葉をふいに
  思います。「この先」への責任を痛感しつつ。

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