1999年(平成11年)12月10日号

No.93

銀座一丁目新聞

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茶説

殺人の動機は百もある

牧念人 悠々

 人間の気持ちはわからない。東京・文京区の2歳の女の子を殺した主婦(35)の動機は何だったのか。新聞に出た評論家,学者の解説を読んでもピーンとこない。被害者の母親との間に「心のわだかまりがあった」とか、「その母親の我が子に対する態度にたえられなくなった」とかいわれている。それにしても、人間はそう簡単に人を殺せるのか。

 これまで、殺人の動機は、はっきりしていた。ひとつは,お金のもつれ。財産争いや借金をめぐるトラブル。二つ目は女性にからむもの。痴情、浮気など。三つ目は暴力が伴うもの。喧嘩、強盗のはての凶行などである。

 最近はちょっと様子が違ってきたようである。東京・池袋で起きた元新聞販売店員の通り魔的な連続通行人殺傷事件は三つの動機以外のものであろう。店員が物事が望み通りいかず、イライラしていたというだけでは犯行の動機の説明にはならない。

 戦後54年、時代の激流は人間にさまざまな影響をあたえた。その影響は想像を絶するものがある。

 たとえば、身近な例をあげれば、昨今の離婚の原因は百ぐらいある。[夫の読んでいる本書が気に食わない]とか、[食事の仕方が気にいらない」といったことで別れる。

 戦前は離婚の原因がはっきりしていた。夫の暴力,浮気、お金を家庭に入れないの三つに限られていた。現代離婚事情からいえば、殺人の動機も、百ぐらいあるのかもしれない。

 相手に心のわだかまりをもっても、正常な人であれば、殺人に走ることはまずない。たとえ,[殺意]を抱いたとしても、おさえることができる。考えてみるがいい。子供の可能性は無限である。まして、2歳の小女の将来を誰が予想できよう。子供の将来は子供にまかせ、親は子供が健康に育つことに意をそそぐことが肝要である。子供にとって、多少の挫折はむしろ、はげましのもとになる。殺人に走るのは余りにも短絡すぎる。こらえしょうがなさすぎる。

 自首する前、夫とともに流した涙は、良心の呵責よるもとみるが、それにしても、残酷な仕業というほかない。

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